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両墓制とは、遺体を埋葬する「埋め墓」と、霊魂を祭る「参り墓」を分ける、日本の墓制習俗です。以前は、土葬の風習が残っていましたが、現在は火葬された後、遺骨を埋め墓だけ、もしくは埋め墓と参り墓の両方に納めています。
長崎集落の埋め墓は、現存する(現在も運用されている)両墓制としては日本最大規模とされていて、香川県の有形民俗文化財に指定されており、日本の埋葬の歴史を知る上で、大変貴重です。
佐柳島の埋め墓は、海に面した場所に“賽(さい)の河原”のように小石を積み上げるという、特徴的な墓です。
数年前の台風でコンクリートの堤防が決壊し、多くが海に流されてしまいました。以前は場所がないほど込み合っていた埋め墓ですが、今は、世話のしやすいように、島の外へ墓を移動させる家が増えました。
また、本浦集落にある乗蓮寺(じょうれんじ)境内には、咸臨丸(かんりんまる)の水夫になった佐柳島出身の男性2人のお墓があります。
本浦港のすぐ近くに住まいの藪さんは、生まれも育ちも佐柳島。
藪さんの出身小中学校は、今は“佐柳島体験センター”になっています。
「当時は多くの子どもたちの声でにぎわっていました。ところが、若者たちは両親の都合や自身の就職でどんどん島を出ていきました。私も島を出て、大阪で仕事をし、定年退職後に島に戻ってきました。Uターンで島に帰ってくる人は、今は本当にまれです。」
島の今後のことについて聞くと、
「猫を目当てに観光客はくるけど、定着はしないし、お店を開こうとする人もいない。この島で生計を立てるのは難しいからね。いわゆる限界集落です。お祭りでも、若者の担ぎ手がいないから、小ぶりな神輿に変えたし、新たな埋め墓を作る人はごくまれです。お墓を閉めて、島外に持っていくので、空き地ができる。」
と、現状を少しさみしそうに語られました。
長い367段の石段をあがると、島に来たらぜひ会っておきたい“天狗様”がいらっしゃいます。お願いするとなくし物を見つけてくれるという言い伝えがあります。参道は少し勾配が急なところもありますので、足元の石段に注意しながら登ってください。階段の途中で疲れたら、後ろを振り返って景色をご覧ください。綺麗な瀬戸内海が広がっています。見晴らし抜群です。
本殿のお参りをすませたら、西側の小道へ進みます。すぐそばの石垣には、左手に葉うちわを持った天狗様のお姿があります。
今回取材させてもらった藪さんの奥様も、何度もこの天狗様には助けてもらっているそうです。
なくし物をしたら、天狗様にお参りを。ただし、上がるのはかなり大変です。参道入り口に、竹の杖が置いてあり、後々重宝するかもしれません。本殿まで、健脚の方で10~15分程かかります。
大切なものをなくされた方、天狗様に一度お願いしてみては?
佐柳島は、自動販売機のない島ですが、合計3軒の商店があります。
うち2軒は長崎集落にあり、集落内にある【柚木商店】、港の近くの【山口商店】、残りの1軒は、本浦集落で唯一の商店【山路商店】(フェリーの時間は切符売り場にいらっしゃいます)。
それぞれのお店で飲み物などを扱っています。
営業時間は、お店によっていろいろなので、利用の予定があれば、事前に確認を。(用事などでお休みになったり、早仕舞いすることもあります)
柚木商店:0877-35-3452/山口酒店:0877-35-3104/山路商店:0877-35-3110
皆さん、とっても気さくな方々でした。
柚木商店をGoogle Mapで見る(外部サイトへリンク) 山口酒店をGoogle Mapで見る(外部サイトへリンク) 山路商店をGoogle Mapで見る(外部サイトへリンク)
佐柳島の別名は”猫の島”です。
本浦の集落には70匹以上いるとかいないとか。
一応、飼い猫半分・野良猫半分。
その線引きはよく分からないままです(汗っ)
遠くから猫に餌をあげるために島に来る人も多いですが、住んでいる方々も猫が好きかどうかは人それぞれ。猫と戯れる時は、島の人とコミュニケーションをとりながら楽しみましょうね。
1684年建立と言われる島の産土神(うぶすながみ)。立派な現在の社殿は1935年に再建されたものです。
中に安置されている1824年奉納の北前船模型は、町指定文化財。
10月には、盛大に秋祭りが催されます。
アクセス:本浦港より長崎集落方面へ徒歩約3分
10月の3連休の、前2日間に、八幡神社の秋祭りが催されます。
御神輿を乗せた漁船が大漁旗を掲げた漁船を連ね、本浦港から北側にある御旅所に、鐘の音を響き渡らせながら向かいます。
御旅所に到着した御神輿の前で、御神酒がふるまわれ、獅子舞が奉納・歌や踊りでとてもにぎわいます。
長崎集落の埋め墓近くにある薬師堂内の石地蔵は、その昔、漁師の網に引っかかって引き上げられたそう。作られたのは室町時代と推定されています。手には、宝珠を持っていた跡があります。
アクセス:長崎集落と埋め墓の近く
ネコで有名になった佐柳島に、待望の「くつろげる場所」「泊まる場所」が誕生しました。平成29年8月にネコノシマホステル+キッサがオープン!近畿から移住してきたご夫婦が、手作りで改装をして、運営できるまでにこぎつけました。
場所は、本浦港と長崎港を結ぶ海岸線一本道の真ん中ぐらいにあります。
アクセス:本浦港からも長崎港からもちょうど真ん中の徒歩約15分
多度津町の西北14.8km沖合にあり、南の本浦・北の長崎、2つの集落からなる小島です。
それぞれの集落に港があり、2つの集落は海岸線に沿って続く1本の道で結ばれています。
標高248.5mの高登山(たかとやま)を中心としたなだらかな斜面が美しいシルエットを作っています。
島の始まりは豊臣秀吉の時代に制定された人名制(にんみょうせい)において、高見島から佐柳島の本浦に7人の人名が移り住んだところからスタートしたと言われていますが、鎌倉時代に高見島からの移住者があったという説もあります。
また、もう一つの集落・長崎へは、広島県や福山・笠岡諸島の真鍋島から移住してきたのが始まりと伝えられています。
佐柳島出身の歴史上の人物として、佐柳高次(1860年に渡米した遣米使節の随伴艦「咸臨丸(かんりんまる)」に水夫として乗り組み太平洋を横断。帰国後は小笠原諸島へ開拓調査で渡航、のちに坂本龍馬率いる海援隊の一員となりました。乗蓮寺に墓があります。)や、平田富蔵(佐柳高次とともに咸臨丸に水夫として乗り組み、航海中に発病し、サンフランシスコで死去。)が挙げられます。
近年は“猫の島”という別名を持つほど、人馴れした猫が増えました。遠く離れた県外から餌を持った観光客が来るほど、有名な島になりつつあります。
◆2021年(令和3年)2月1日現在の運賃です◆
※時刻表・運賃について、詳しくは各ホームページにてご確認ください。
2つの集落間の移動は、海を見ながらゆっくり歩いて約30分。
バス等の公共交通機関はありませんので、歩きやすい靴での来島をオススメします。
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