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港から浦集落へ、高見いこいの家の前の急な坂や階段を、息を切らして歩くこと10分、弘法大師の開基(かいき)と伝えられている大聖寺に到着します。
映画『男はつらいよ 寅次郎の縁談』のロケで使われたお寺です。
石段や境内から眺める瀬戸内海は本当に美しく、天気がよければ瀬戸大橋まで見渡せます。
島に来たなら必見のビューポイントです。
お寺の入り口、鐘楼門(しょうろうもん)をくぐり、振り返って下から見上げると、屋根を必死で支えている力士像がいます。像のサイズは小ぶりですが、必死な形相が見え、思わず“支えてくれてありがとう”と言いたくなる、ちょっぴりかわいいそのお姿を、ぜひ見てください。
高見島は大半が山のため、その傾斜を利用して家が建てられています。
急傾斜に石垣と民家が立ち並ぶ浦集落。
今の石垣は、江戸前期に旧浦集落が大火事になり、当時の人名(にんみょう)が中心になって石垣を築き、計画的に造成し家を建てた時のものです。
人名とは・・・大名(1万石以上)、小名(1万石以下)に次いで、第三の領主。塩飽(しわく)船方650人の名主(みょうしゅ)を略した名称です。
立派な石垣の家の持ち主・西山市朗さんにお会いしました。
「今は多度津町(本土)に住んでいますが、月に1度は家の風通しに島に来ています。時間があれば、島の草刈りをしたり、観光客に島情報を教えたり。」香川民俗学会の会長や、塩飽史談会の理事などをされていて、香川の民俗学や塩飽諸島の歴史、多度津町の文化財についての知識も大変豊富です。そして、西山さん宅のお庭からの眺めは、とてもすばらしかったです。
瀬戸内国際芸術祭2013を盛り上げようと、多度津町民有志らが高見島応援団として結成したボランティア団体です。
団体名の由来は、“島を支えたい”~“ささえたい”~“さざえ隊”へ。
芸術祭が終わってからも活動を続けており、もしかしたら高見島でお会いできるかもしれません。
島のあちらこちらにある花壇には、きれいな花々が咲いていて、さざえ隊の方々が手入れされています。
高見島唯一の民宿、『森田屋』のご主人は、潜水漁師(水深20~30mの海底に生息し、貝殻のとがった部分が海底に刺さるように立っている、30cmはあるかという大きな“タイラギ貝”を獲っています。)。茶粥は、森田さんの奥様が作ってくださいます。(民宿に問合せの上、要予約)
お茶の配合や入れる材料によって、各家庭の味があるそうです。
多くの茶粥には、高知県大豊町産の「碁石茶(ごいしちゃ)」が使われますが、高見島産のハブ茶やほうじ茶を使うこともあるそうです。今回森田さんのところでいただいたのは、ハブ茶を使った茶粥でした。
※美味しく作るコツは深いお鍋でぐつぐつと煮ること。美味しくいただくコツは、出来立てのあつあつを食べること。
付け合せに、舌平目の一夜干し・たくあん・いかなごの釘煮・しょうゆ豆を用意していただきました。
お茶漬け感覚なのでとても合います。特に、いかなごの釘煮の山椒が、茶粥と相性抜群です。
アクセス:高見港から徒歩約5分
住所:仲多度郡多度津町高見1698?:0877-34-3236 宿泊:1泊3食付1人8000円
※食事、宿泊とも2日前までに要予約。
茶粥に使うハブ茶は、便秘の解消によく、利尿作用で腎臓への負担を減らしてくれます。つまりお肌にも良いということ。(女性の皆様必見!)
また、お粥なので消化にも良く、のど越しがよくて食べやすいので、朝食にもオススメです。
森田さん曰く、寝る前に食べるのはオススメしないそうです。理由はトイレが近くなるため。
私自身、身を持って体感しました(笑)
ちなみに、写真は、森田屋の看板娘で、名前はトゥポールです^^
高見島の三角点、竜王山(標高297.3m)には祠があり、雨乞いや大漁祈願のお祭りが行われています。(6月中旬頃)祭りの前には島の人だけでなく、島を出た人も集まり、登山道の草刈りや手入れをします。
また、山頂からは弥生土器が見つかっています。頂上付近にある竜王宮社叢(しゃそう)は、県指定文化財となっています。(社叢とは、『神社の森』のことです。)
登山道:浦集落から頂上まで約1時間。道に迷わないように、道標が各所に設置されていて、5合目と9合目に、展望スポットがあります。
その石垣の美しい勾配は、まるでお城のようです。
アメリカで成功をおさめた島出身の方が建てたという民家。(今はこちらにお住まいではありません。)
中塚邸の石垣は、島外から取り寄せた石です。ここ以外の石垣は高見島の石である黒っぽい安山岩が主流です。
瀬戸内国際芸術祭2013では、アートとレストランでコラボレーションしていました。
大聖寺に向かう途中にあります。
アクセス:高見港より徒歩約10分
浜集落にある高見島の氏神様。
1755年(宝暦5年)に八幡宮に奉納された弁財船(べざいせん)の模型和船は、実際の縮尺10分の1の精巧な模型で、享保年間以降の特徴をはっきり示しています。模型は現在、多度津町立資料館で見ることができます。(入館無料・JR多度津駅から徒歩約7分)
アクセス:高見港より徒歩約10分
浜集落・浦集落・板持集落にはそれぞれに、遺体を埋葬する“埋め墓(うめばか)”と霊魂を祭る“参り墓(まいりばか)”の2つのお墓が残されています。
浦集落の埋め墓は、真っ白の砂浜にあり、浜集落の埋め墓は、小石を積み重ねられているのが特徴です。
場所:それぞれの集落の海に向かった道沿い
瀬戸内海のほぼ中央、多度津町の西北7.4Kmの沖合に静かに浮かぶ高見島は、竜王山を中心に南北に細長い円錐型の、3つの集落からなる小さな島です。
島の歴史は古く、遺跡の出た弥生の時代からで、その後は平家の落人が住み着いたのだとも、備前児島から移住してきて漁をしたのが始まりだとも伝えられています。
約25度の斜面に家が建ち並び、自然石の乱れ積み石垣が残っています。
高見島出身の歴史上の人物として、玉谷好平(1860年に渡米した遣米使節の随伴艦「咸臨丸(かんりんまる)」の水夫小頭として太平洋を横断。ほかにも高見島からは水夫として3人が乗船しています。)や、山下岩吉(1862年、幕府のオランダ留学生15人のうちの1人。ライデン航海訓練学校に入り、造船にかかわった幕府軍艦「開陽丸」で帰国。のちに海軍教授所2等教授に任命。)が挙げられます。
◆2021年(令和3年)2月1日現在の運賃です◆
※時刻表・運賃について、詳しくは各ホームページにてご確認ください。
集落は、坂道や石段が多く傾斜にあるため、全て徒歩での移動です。
バス等の公共交通機関はありませんので、歩きやすい靴での来島をオススメします。
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