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【特集1】幻の城に出合う

幻の城に出合う

 18年前、源平の合戦で知られる屋島で歴史的な発見があった。日本書紀に記述されている「屋嶋城」。はっきりした遺構が確認できず、幻の城といわれていたが、その城門の一部が見つかったのだ。以降、発掘と復元が続けられていた山上の城門が今春、3月19日(土)より一般公開される。

 屋嶋城の復元を機に、高松城、丸亀城を併せて香川の3城を巡る。城には必ず歴史の裏付けがある。瀬戸内国際芸術祭と一緒に、春の香川で歴史ロマンを旅する。

屋嶋城の写真

地図

海を眺める写真

 屋島観光の中心、山頂にある屋島寺や展望台から南に外れた静かな場所に復元された石積みの遺構。これが、1300年の時を経て姿を現した「屋嶋城(やしまのき)」の城門である。

 屋嶋城は日本書紀の中で「讃吉國山田郡屋嶋城」と記されている古代の山城で、667年に築城された。当時は大和朝廷が治める飛鳥時代。百済再興のため、朝鮮半島で戦いを続けていたが、4年前の663年「白村江の戦い」で唐と新羅に大敗している。次は倭国が攻められるのではとの危惧から、屋嶋城のような城を要所に整備したと考えられている。

石積みの写真

 城門からの眺めは素晴らしく、高松の街を東側から広く見渡せる。かつて屋島は文字通り「島」であったが、後世の自然堆積や塩田開発などによって地続きとなった。飛鳥時代であれば、城門の位置はまさに高松の対岸。敵船を見張るうってつけの場所であったのだろう。

 それにしても1300年前、山頂に巨大な石積みの建造物を人力で造る困難はいかほどであったか。これほどのものを完成させたという事実は、日本書紀に記された亡国の危機が現実であった証である。屋嶋城は、歴史に血を通わせ、飛鳥時代と現在を結びつける。

城門からの眺める写真

【お問い合わせ】
高松市文化財課
TEL 087-823-2714

屋島山頂の楽しみ
イイダコのおでん

屋島山頂では、「イイダコのおでん」が名物である。弾力のある小振りのタコをかみしめると、瀬戸内の味が広がる。

イイダコのおでんの写真

屋嶋城の発見者
平岡 岩夫さんインタビュー

屋嶋城に興味を持ったのはなぜですか。
転勤で香川に赴任し、景観の良さや歴史的背景の面白さから屋島のファンになった。屋島でのハイキングを通じて香川大学教授(当時)の岡本研正氏に出会い、屋嶋城の話を教えてもらったのが興味を持ったきっかけ。幻の城であったが、自分なりに研究をし、その実在を信じていた。

どのように発見したのですか。
専門家の調査は山頂から行うことが多いそうであるが、私は城を攻める側の気持ちになり、麓から山頂を目指して遺構を探すことにした。害虫の少ない冬季に5年かけて調べ尽くすつもりでいたが、運よく2年目に石積みを発見することができた。

今後、屋嶋城に期待することは何ですか。
城門は復元できたが門扉がない。バーチャルで見せる計画はあるようだが、ぜひ実際に門扉を取り付けて欲しい。また屋嶋城をきっかけに、地元の人は自信を持って屋島の素晴らしさをアピールしてほしい。

平岡 岩夫さんの写真
平岡 岩夫さん

日本書紀に記述はあるが、決定的な遺構が発見されておらず、専門家の判断も肯定説、否定説、未完成説に分かれていた屋嶋城。その中で、平成10年に単独で城門跡の石積みを発見したのが平岡岩夫さんである。