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濱本さんは、島の出身者で坂出市の与島出張所で勤務されています。
「ももて祭は、1月の中下旬の日曜日に、島の王子神社で開催されるお祭りで、県指定無形民俗文化財に指定されています。
祭りでは、1年の豊かさや厄除けなどを島の神々に祈願して弓を射った後に、集落を回り魔をはらいます。弓の的には、他の地域と違って四角形の的が使われます。また、弓の型は“小笠原古流”という型で、少し腰を落として前かがみで弓を射ります。これは海上での戦で、小船から弓を射る際、自然に構えられた型と思われます。」
濱本 敏広さん
「祭りで使用する道具は、前日に作成します。的は、葦竹(よしだけ)を使って編んでいき、その上に白紙を貼り、33個の大小の黒丸を書きます。矢は“ズンドウ矢”を使用し、矢じりには松の若木を削ったものを使います。見物人のなかには、的に当たった矢を縁起物としてもらって帰る人もいます。」
アクセス:バス停「櫃石」から西へ徒歩約15分
櫃石島からは、隣の歩渡島という無人島に、その名の通り「歩いて渡る」ことができます。歩渡島の北側では、以前ハマチの養殖をしていたそうです。島から島に渡ると気分が変わり、まるで瀬戸内の海面を歩いているように感じられます。歩渡島では、キレイな階段を登ると注連柱(しめばしら)があり、その先に七福神が祭られています。4月上旬頃にはつつじが満開になります。
※注連柱(しめばしら)・・・鳥居と同様の役目を負い、参道入り口に建つ石柱で、注連縄を張り、この先は神域である事を示しています。
この島の奥には七福神の石像が祭られていて、古墳もあります。七福神の石像は、それぞれ弁天様の周囲に点在しています。
アクセス:バス停「櫃石」から瀬戸大橋に沿って南へ徒歩約20分
櫃石島には、瀬戸大橋を真下から見られるスポットがあります!
この写真は、島の最北端の堤防の上から撮影したもので、対岸に見えているのは岡山県の鷲羽山です。
目の前の海には、たくさんの船が行き交う風景が見られ、のんびり景色を楽しむことができます。
また、橋の中を通る電車(マリンライナー)を近くで見ることもできる、レアな写真スポットです。
櫃石島には様々な言い伝えがあり、キイキ石もその1つです。伊勢神宮から持ち帰った小石が、だんだんと大きくなって、現在の大きさになったという伝説もあります。今でも成長を続けているといわれる不思議な石で、名前の由来は、大きくなる際にキイキイと音がするためとされています。
キイキはネズミの鳴き声で、ネズミがいるということは島が豊かであるという理由で、「キイキ石」が祭られたといわれています。
アクセス:バス停「櫃石」から西へ徒歩約15分
島の北西部にある花見山の山頂周辺に点在する岩です。大坂城修築の際に、越前藩がこの島から石を運び出したときの残石があり、越前藩の所有物である目印として、くし団子の刻印が印されています。花見山は、春に咲く山ツツジがとても綺麗です。また、団子岩のある辺りは、海と島々が見渡せるオススメの絶景スポットです。
アクセス:バス停「櫃石」から西へ徒歩約30分(山道)
島の南部にある櫃(ひつ)を立てたような巨石で、島名の由来となったといわれています。源平合戦で、屋島の戦いに敗れた平家の武者が、落ちのびる途中にこの石の下に宝物を隠し、3人の姫を島にかくまったと伝えられ、源氏による平家の残党狩りから、島民が姫を守り通したという言い伝えが残っています。
アクセス:バス停「櫃石」から徒歩約15分(山道含む)
札場は、江戸時代に幕府の命令や塩飽の決まり事などを周知するものでした。札場のすぐ横に、大井戸という村井戸があり、水汲みや洗濯の際の井戸端会議の場となっていました。大井戸は、1979年(昭和54年)に上水道が通水するまで使用され、2001年(平成13年)には「櫃石の札場 附大井戸」として、坂出市の文化財に指定されています。
アクセス:バス停「櫃石」から徒歩約10分
櫃石島を含む塩飽諸島出身の水主(かこ:水夫)は、人名制度の時代には幕府の御用水主として活躍しました。幕末に、日米修好通商条約の批准書交換使節団の随伴艦として渡米した「威臨丸」では、50人の水主のうち35名が塩飽諸島出身で、櫃石島からは3人が乗り込みました。
現代では、1988年4月の瀬戸大橋開通によって、緊急車両などが進入できるようになり、バス停も設けられ、陸上交通が確保されました。(島民以外の一般車両は進入不可です)
島の北側には、雄大なトラス斜張橋(しゃちょうきょう)やトラス吊橋がそびえています。
※琴参バスと下電バスの乗り換えのため、バス整理券に『乗換』の印をもらうのをお忘れなく!
≪琴参バス【瀬戸大橋線】≫
島内は、住民しか自家用車で乗り入れることができませんので、全て徒歩移動です。
島内で琴参バスも利用できます。
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