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住民の手作りのアートが島の随所に見られます。
港に降り立つと、まず出迎えてくれる看板やトーテムポールのような作品、道沿いにはタコつぼがゴロゴロひしめき合い、途中にはスプーンなどのいわばガラクタで作られたアートが並んでいます。
一方では、トリックアートのようなペイントされた船があったり、坂道の途中にはカーブミラーではなく竹製の信号機が設置されています。
小手島自治会長
岡田 薫夫さん
カラフルな“愛の巣”ならぬ“愛の巣箱”はなかなか鳥さんたちに使ってもらえず、高台に設置されている「1枚の絵」と書かれた額縁をのぞくと、島の美しい風景を見ることができ、望遠鏡に見立てた竹筒は、あくまでオブジェでした。
島のメイン通りには壁画が施され、三叉路には案山子が道案内しているように立っています。
島の人たちのアイデアがアートになり、見る人の心を温めてくれる、ちょっぴりユニークなこの取り組みは、他の島には見られない、オリジナルな島おこしです。
「島の外を知っているから、今はこうして色々やってみたくなるんです。
小手島で生まれ育ち、多くの若者と同じように東京に出て働きましたが、45歳の時に帰島しました。医者もヘルパーもいない島での生活は色々不便はあります。でも、住民みんなで協力し合って助け合って、乗り越えてきましたよ。
それに、私は多趣味な性格なんで、やりたいことはまだまだたくさんあります。今は草木が生い茂っているけれど、もともと段々畑だったこの場所をもう一度開拓して、色々な作物を育てたいし、のんびり釣りもしたいし、そしてアート作品で島を盛り上げたい。年に1回はイベントを開催し、色々なアート作品を増やしてきました。前回は壁画アート、今回は案山子(かかし)作り。小手島の魅力を最大限に楽しめるこれらのイベント、できる限り続けていきますよ。」
一本の木に白と紅の二色、厳密に言えばピンクも含めた三色を咲かせる花桃(観賞用)の一品種です。白=源氏、紅(赤)=平家が入り乱れて戦った「源平合戦」に例えられこの名が付いたと言われています。咲き方は土壌にも影響されるようですが、同じ場所・同じ木でもその年の気候などの環境の変化によって白が咲いたり咲かなかったり、紅が咲いたり咲かなかったり、また紅白の割合が不均等…と毎年違った咲き具合を楽しめるようです。
この源平モモの並木は、自治会長の岡田さんが「島の目玉に!」と、ここ数年かけて愛情いっぱいに育ててきました。見頃は桜の時期と同じくらいで、満開になるのは4月上旬です。お花が好きな方、お花見に来る価値ありです。
帰りの船に乗る前に、取材にご協力いただいた岡田さんに「おみやげ!」と言われ、いただきました^^
これ、なんだか分かりますか?
正解は、イイダコを採るためのタコつぼ!なんと50年もの(スゴイッ)だそうで、底にはロープを通す小さな穴が開いています。今は、私のデスクに、ペンたてとして利用されています(笑)
小手島の歴史が語りだされるのは明治初期。
島内は傾斜だらけで坂道が多く、最盛期には段々畑が広がっていた場所も、今は草木で覆い隠されています。
山と海に囲まれた土地に、家を建てたり畑を耕したりした先人の苦労は計り知れないものがあります。
大きな木の木漏れ日の下に、その碑は佇んでいます。
アクセス:小手島港から徒歩約30分上り坂
これらの墓石、実は小手島のものではないという調査結果が出ています。
小手島には、平家の落人が住み着いたといういわれがあります。明治に島の開拓を進める中で発見されたこの墓石は、静かな時の流れを感じる大きな木の下にあり、島の人たちから『朝日さん』という呼び名で祭られています。
すぐ横には、キレイに整備された、第二次世界大戦の戦没者のお墓もあります。
アクセス:小手島港から徒歩約30分上り坂
島に唯一の学校。高台に建てられているおかげで、通っている島の子どもは、坂道に強い足に育つそうです。門も校舎も立派で、そこから見渡す景色もとてもキレイです。
アクセス:小手島港から徒歩約20分上り坂
港から、アスファルト舗装された道をどんどん上へ進むと、島の中央あたりを縦断している見晴らしのいい道に続きます。
島の西側を見下ろせるその道の名は、通称"夕日ヶ丘通り"。その名のとおり、夕日に染まる海は絶景だそうです。
ちなみに夕焼けを堪能していると帰りの船がなくなってしまいます。島には宿がないので、注意してください。
アクセス:小手島港から徒歩約30分上り坂
丸亀市の北、約15kmの海上にあり、無人島だった島に明治時代に人が住み始め、野山を切り開いたことから始まります。
塩飽諸島の有人島の中ではもっとも小さい島ですが、備讃瀬戸海域の中心的漁場の近くにあり、2月からはイカナゴ漁、5月からタコ漁が始まり、あわせて6月からはシラス漁、そして8月頃からはワタリガニ漁と、一年を通して漁が非常に盛んで、若い漁業後継者も多く居ます。しかし、多くの漁師は丸亀市(本土)から船でやってきて、日中は小手島で漁をし、賑わいがありますが、夕暮れとともにまた帰っていきます。
小手島の実話に基づいてつくられた、バレーボールを通して島の子どもたちに努力の尊さを教えようとする教師の映画「なつかしき笛や太鼓」(昭和42年、木下恵介監督)の舞台にもなりました。
◆2014年(平成26年)4月1日現在の運賃です◆
※時刻表・運賃について、詳しくは各ホームページにてご確認ください。
徒歩で回れる島ですが、非常に坂道が多いです。歩きやすい靴での来島をオススメします。
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