常設展示室1

道具とくらしのうつりかわり

会期 令和2年12日(木)~322日(日)
■開館時間:9:00~17:00  
 
■休館日   毎週月曜日 ※ただし1月6日・13日・2月24日(月・祝)は開館 
       臨時休館  2月25日(火)~3月9日(月) 

展示内容
 わたしたちが使う生活の道具は、時の経過とともに大きく変化してきました。 今から60~70年ぐらい前までは、ご飯炊きや洗濯などの仕事にたいへん時間がか かりました。しかし、羽釜や飯びつ、洗濯板、炭火アイロンなど、その当時使っていた道具を見ると、形や仕組みなどに昔の人々の知恵がこめられています。
  人々の生活を大きく変えたのは、電気やガスの使用でした。香川県では電気が 1895年(明治28)、ガスが1911年(明治44)に、高松市で使用が始まります。どちらも初めは主に明かりとして利用されましたが、その後、様々な製品が開発されていきます。
 多くの家庭に様々な電化製品やガス器具が普及していくのは、1950年 代後半(昭和30年代)以降です。 この展示では電化以前と以後の衣・食・住の道具、電気とともにエネルギー源となったガスの道具、学校・会社などで使用された印刷の道具から、人々の生活の移り変わりを見ていきます。また、今回の展示では、交通から暮らしを考えるために、高松市の鉄道の移り変わりについても紹介します。 小学校の社会科や総合的な学習でご利用ください。また、大人の方も昔の生活に 想いをはせてみてはいかがでしょう。
展示点数 43件48点   
組織 香川県立ミュージアム 常設展示室1
観覧料
一般410円(330円)
*( )内は20名以上の団体料金
*高校生以下、65歳以上の方、身体障害者手帳等をお持ちの方は無料

関連行事

ミュージアムトーク(担当学芸員が展示内容について分かりやすく解説します)

日時 令和2年1月25日(土)、2月8日(土)、2月22日(土)各13:30~     
*申し込み不要、観覧券が必要
場所 常設展示室1

主な展示品






洗濯板 たらい        昭和 当館蔵
     
 洗濯を手でしていた頃の道具です。たらいに水と洗濯物を入れ、洗濯板に水を吸った衣類を一枚ずつ広げて洗っていました。 洗濯板の表面には溝がきざまれています。溝は石けん水をためる、洗濯物の汚れを落とす、洗濯物がずり落ちないようにする役割をしています。 たらいは短冊形に薄く切った板を縦に並べ合わせ、底を付け、「たが」でしっかりとしめて、水が漏れないように作られています。



電気洗濯機   昭和30年発売 当館蔵

 電気洗濯機は1930年(昭和5)に、国産の第一号機が登場しましたが、高価なため、ごく限られた人しか購入できませんでした。多くの人々が使用するようになるのは、1950年代後半(昭和30年代)以降です。
 電気洗濯機の普及により、汚れた衣類と水、洗剤を入れて、タイマーをセットすれば、洗濯できるようになりました。洗った衣類はローラーの間にはさんで、ハンドルを回して脱水しました。



手回しミシン 明治~昭和  当館蔵

 アメリカのシンガーミシン社製の手回し式ミシンです。「ミシン」という名称は、英語名の「ソーイング・マシン」の「マシン」が日本で訛(なま)って呼ばれるようになったそうです。
  ミシンが使われるまで、裁縫は針と糸で一目ずつ縫う根気のいるものでした。このミシンは、右手でハンドルを回し、左手で布を操って使いました。

 
 電動ミシン 昭和50年頃  個人蔵

 1975年(昭和50)頃使われていたブラザー工業社製の電動ミシンです。手回しミシンや足踏みミシンは、手足での操作に慣れる必要がありましたが、モーターが組み込まれたこのミシンでは、電動で楽に作業できるようになりました。 縫う速度はフットペダルの踏み方によって、調節しました。  

 
 ガスストーブ  昭和40年代 当館蔵

 スケルトン(耐火粘土)にバーナーの炎を当てて赤熱させる輻射式の暖房器具で、スケルトン式ストーブと呼ばれます。アメリカのハンフレー社の製品が、大正時代に輸入され、日本でも模倣して製造されるようになりました。  スイッチ(圧電式自動点火)で火を付け、安定した火力で部屋を暖めることができるとともに、自分で燃料を補給する必要がありませんでした。  

 
 謄写版    昭和50年代  当館蔵

 1980年代前半(昭和50年代)頃までは、学校、会社などや個人で印刷する方法として、謄写版印刷が広く行われていました。 文章や絵を書いた原紙を謄写版印刷器のスクリーン内側に付け、印刷用紙に重ねて、スクリーン外側からローラーでインクを付けると刷り上がります。原紙に書かれた文字や絵の部分をインクが通って印刷されるのです。 謄写版はヤスリの上に置いた原紙に鉄筆で書くと、「ガリガリ」という音がすることから、「ガリ版」とも呼ばれました。  
 讃岐遊覧    昭和前期  当館蔵

 1889年(明治22)、讃岐鉄道によって丸亀-多度津-琴平間に香川県初の鉄道が開通しました。 その8年後の1897年(明治30)、丸亀-高松間が開通し、高松市の鉄道が始まりました。 一方、高松市の電車は1911年(明治44)、今橋-志度間が開通したことに始まります。続いて、翌1912年(明治45)に出晴-長尾間、1913年(大正2)に今橋-出晴間、1915年(大正4)に出晴-(栗林)公園前が開通します。1917年(大正6)には(栗林)公園前-築港間に市内電車が開通し、築港-志度間がつながりました。昭和時代に入ると、1927年(昭和2)に高松(現瓦町)-琴平間、1929年(昭和4)に屋島登山鉄道、塩江温泉鉄道、1931年(昭和6)に八栗登山鉄道が開通しました。 鳥瞰図に鉄道路線が記された本資料からは、昭和時代前期に、鉄道が金刀比羅宮・栗林公園・塩江温泉・屋島・八栗寺といった観光地への交通手段として便利になっていることがうかがえます。