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【特集2】かがわの技

 その昔、この地の小山や海辺には、姿の良い松があちこちにあった。その松を掘り起こして鉢に植え、枝ぶりを整えて販売したのが松盆栽の始まりである。それは江戸時代のこと、高松松平藩の高松城(現玉藻公園)や栗林荘(現栗林公園)でも見事な松が育てられていた。

 明治に入り、盆栽生産の基礎となる“せん定”と“接木(つぎき)”“針金による整枝”の技が発達し、盆栽の世界は飛躍的な発展を見せた。明治20年ころには、黒松の中から樹皮が盛り上がるように発達したものが発見され、後日「錦松(にしきまつ)」と呼ばれ、高値で取引されるようになる。大正時代に入り、盆栽生産は鬼無に限らず近隣の端岡(はしおか)(現高松市国分寺町)などに拡大。この時代には、五葉松が導入され、黒松に接いだものが通称「銀八(ぎんやつ)」と呼ばれ人気を博す。昭和時代は「錦松」の黄金時代、30種類以上もの品種が登場する。しかし、戦時下では食糧増産のため畑の松はことごとく引き抜かれ、盆栽の里は絶えたかに見えた。けれども、戦後の復興は早かった。高度成長とともに見る見る緑を広げ、戦前をしのぐ生産量を上げるようになる。その陰に人知れぬ先人の努力があったのは言うまでもない。日照りの夏には、貴重な水を一株一株に運んだ。戦争中、先祖から伝わる樹齢100年をも越える名木を隠し育てるのも苦労であった。

 そのおかげで、鬼無・国分寺一帯には世代を超えて見事な松が並ぶ。その技法をよりよく伝えていくために、生産者と香川県農業協同組合や行政機関が香川県盆栽生産振興協議会を結成した。この協議会が15年の歳月をかけ、優良品種「夢錦」も誕生させた。

 今や世界共通語となり、各国にファンを広げる「BONSAI」。かがわの技が、世界に発信されている。