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【特集1】大名庭園で一服。

掬月亭の写真1
掬月亭で、お茶とともに静かな時間も味わいたい。

庭園の茶室に昔と変わらぬ時間 栗林公園

 栗林公園は、千本の手入れ松に覆われた回遊式庭園だ。高松藩主の松平家が江戸の初期から中期に100年の歳月をかけて造った別邸「栗林荘」が元になっており、見どころの多い南湖周辺は当時の姿をほぼそのまま留めている。

 回遊式庭園の醍醐味(だいごみ)は、その名のとおり歩いて回ることにある。「一歩一景」と称される栗林公園では次々と趣の違う美しい景色が現れる。いわば絶景の美術館。理想郷を形にした庭を歩けば、自然と心が弾んでくる。公園が勧める南庭回遊コースは、1745年(延享2年)にまとめられた栗林荘の手引書「栗林荘記」の推奨コースとよく似ている。お殿様がたどった同じ道を、その視線や気分を想像しながら歩くのも面白い。

 ところで、江戸時代の栗林荘は、殿様の別邸としてだけでなく、賓客や家臣を招いての儀礼や社交の役割も担っていた。その際、おもてなしの場として活躍したのが茶室。唐詩の一句「水を掬すれば月手に在り」から命名された「掬月亭」では、盛大な茶会が開かれていた。南湖のほとりには、17世紀に建てられた数寄屋造りの建物が残り、今は誰でも気軽にお茶とお菓子をいただける。休憩だけでなく、庭の美に触れる仕上げとしても、ぜひここに立ち寄ってほしい。

 陰影のある亭内の空間は、南湖に移ろう風と光を眺める特等席。屋外を歩きながら見るよりも静かで奥深い庭の美を感じられる。抹茶のふくよかな味と香りに心がほぐれ、時間さえ忘れそうだ。庭と茶は、今も昔も同じように人を魅了してしまう。

 季節ごとに表情を変える栗林公園の、一番人気は紅葉のシーズン。掬月亭に一番近い小島にもカエデが植えられており、晩秋には島全体が真っ赤に染まる。一服のお茶とともに、艶やかな秋の景色を楽しみたい。

掬月亭の写真2
三方に向かって開けた亭内に、風が吹き渡る。

紅葉の写真

日暮亭の写真
土・日・祝日には、明治時代に築造された草庵の茶室「日暮亭」でもお茶がいただける。

茶畑の写真
北庭に江戸時代の薬草園の名残の茶畑があり、新茶の時期には、毎年小学生らが茶摘みを行う。

旧日暮亭の写真
江戸初期に建てられた草庵の大名茶室「旧日暮亭」もあり、土・日・祝日には障子が開放され、内部を見ることができる。

茶の湯文化の礎を築いた
初代藩主・松平頼重

 高松藩の茶の湯の礎を築いたのが、1642年(寛永19年)に入封した初代藩主・松平頼重。頼重が、千利休から四代目にあたり、後に武者小路千家を開く一翁宗守(いちおうそうしゅ)を茶道指南に招いたことから、高松藩では代々、武者小路千家が茶頭を務めることになった。また、京都から作陶家を呼び荘内にお庭焼の窯も開かせ、茶碗など多くの茶道具も作られた。

古理兵衛九重塔の写真
頼重が京都から呼び寄せ、荘内に窯を開かせた紀太理兵衛の焼き物が、お庭焼「理兵衛焼」(現在は「理平焼」)。南湖のほとりには、初代紀太理兵衛作と伝えられる「古理兵衛九重塔」が建つ。

千利休から松平家に伝わる
楽茶碗(らくちゃわん)木守(きまもり)

 その昔、千利休が楽茶碗を並べ、弟子を集めた。好きなものを持ち帰るよう伝えたところ、赤楽茶碗が一つ残った。利休はその碗をいたく気に入り、翌年の実りを願って一つ残しておく果実にちなみ「木守」と名付け愛用した。

 その名の由来としてこの逸話が語り継がれる「木守」は、千利休から武者小路千家に伝来し、後に松平家に献上された。

 ところが1923年(大正12年)の関東大震災で、木守は粉々に砕けてしまった。しかし昭和になり、たった一つのかけらを使って楽家による再生が行われた。復活した「木守」は今も松平家が保管し、武者小路千家の家元襲名時のみに貸し出される。さまざまな茶人の思いがこもる名碗である。

木守の写真
赤楽茶碗 銘 木守
長次郎 桃山時代/松平頼武氏蔵
高松松平家歴史資料
(香川県立ミュージアム保管)

栗林公園 秋のライトアップ
11月23日(木・祝)〜12月3日(日)

営業時間が夜まで延長され、幻想的な光に包まれた栗林公園を楽しめる。園内売店のほか、商工奨励館前には夜店も出店。人気の和船の夜間運航もあり、光の景観を夜の湖面から眺められる。

秋のライトアップの写真

【お問い合わせ】
香川県栗林公園観光事務所

高松市栗林町1丁目20番16号
TEL 087-833-7411
https://www.my-kagawa.jp/ritsuringarden
掬月亭では、開園日は毎日お茶が楽しめる。日暮亭では土・日・祝日に抹茶を提供。