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公開日:2020年12月10日

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讃岐国府跡 調査現場から 13

香川県埋蔵文化財センター

林田町の地名調査1

讃岐国府跡探索事業では讃岐国府跡周辺の調査も行っています。今年度は坂出市林田町が対象です。5月から6月にかけて、坂出市林田出張所の倉庫に保管されている公文書類の調査を行いましたが、この中には江戸時代の検地帳がありました。検地帳とは検地の結果をまとめた土地台帳のことで、地目・地位・面積・収穫高・耕作者・土地の呼び名などが記されています。
写真の検地帳は文化2年(1805)に作成された『阿野郡北林田村田畑順道帳 西梶下所 野末免』の一部です。「百九十五」の下に「一上々田九畝六歩」と書いています。その右肩には「寺東右同壱反八畝拾弐歩之内」とあります。数行前に「新開」とありますので、「右同」は「新開」のことでしょう。「百九十五」は「寺東新開」と呼ばれる土地で、1反8畝12歩の中の9畝6歩は収穫高の良い上々田であることがわかります。

検地帳1 
『阿野郡北林田村田畑順道帳 西梶下所 野末免』

ところで、「寺東新開」はどこの場所に当たるのでしょうか。この検地帳が作成されたあとで、貼り紙をして地番を書き記しています。この地番がどこに当たるのか、明治時代の初めに作成された地籍図で調べました。この地籍図も林田出張所に保管されています。

地籍図 明治時代初めに作成された地籍図

この絵図をみると、「寺東新開」は林田町の西部、綾川の西岸で、主要地方道高松王越坂出線の北約200mのところにある田であることがわかります。この付近には真言宗の寺院である高照院があったという伝承があります。現在、高照院は坂出市西庄町にあります。現在の高照院があった場所には摩尼珠院妙成就寺がありましたが、明治(外部サイトへリンク)初年の神仏分離令(外部サイトへリンク)によってお寺がなくなりました。その後、末寺の高照院が移転してきて七十九番札所を引き継ぎました。したがって、この「寺東新開」の西側に西庄町に移転する前の高照院があったことがわかります。
また、『阿野郡北林田村田畑順道帳 西梶上所』という検地帳をみると、「川」という田の呼び名がみつかりました。

地籍図から田の位置をさがすと、さぬき浜街道の南側の八坂神社の250m東の田であることがわかります。この付近の田畑の区画は整然としていません。おそらく、かつては川であったものと思われます。
このように、検地帳に記されている地名などを調査することで、古い地形やかつての建造物などがわかります。今後、地元の方々からの聞き取り調査を行い、さらに詳しく古い地名を調べる予定です。

 掲載資料に関するお問い合わせは香川県埋蔵文化財センターまでお願いします。
TEL:0877-48-2191 E-mail:maibun@pref.kagawa.lg.jp

11月16日 ミステリーハンター、いよいよ現場へ

気持ちの良い秋晴れに恵まれました。本日は、ミステリーハンターが発掘現場に出る初日です。総勢38名のうち、午前は12名、午後は10名の方が現場で汗を流しました。
朝9時に埋蔵文化財センターに集合し、まずは安全面での注意点などを周知し、次に現場での段取りを打ち合わせしました。その後、発掘器材などを現場に運び込み、お昼前から現場作業に入りました。

目下のところ、現場(29-1トレンチ)での最大の悩みのタネは、常に湧き出す地下水の処理方法です。発掘で遺構(過去の痕跡)を見つけるためには、遺構が掘り込まれた地層(遺構面)のコンディションが良くなければなりません。乾燥し過ぎても、湿り過ぎても、良くありません。
このため、トレンチの南壁沿いに側溝を掘り、排水の便を図ることにしました。しかし、これが結構重労働なのです。側溝の一番下には、我々が「地山(じやま)」と呼ぶ無遺物層がありますが、ここでの地山は粘り気の強い黄褐色の粘土で、湧水でぬかるんでいることもあり、掘り起こしてもスコップの刃からなかなか離れません。ミステリーハンターと調査員総出で、20分ばかりの作業を終えた時には、朝のニコニコ顔とはうって変わった、疲労困憊した面々がそこにいました。

発掘現場

スコップ片手に、側溝を掘る

 

 

しかし、側溝が貫通したおかげで、ポンプによる排水はスムーズになりました。もう数日経てば、遺構面のぬかるみも解消されることでしょう。ミステリーハンターの活躍に、ご期待ください。

 

11月15日 トレンチを掘ると

本日は、午前中は昨日に引き続き耕作土をはぎ取り、午後にいよいよ最初のトレンチ(29-1トレンチ)を掘り始めました。トレンチとは、遺跡の一部を細長く掘り下げるもので、「試掘溝」とも呼ばれます。遺跡全体を掘り広げるのではなく、部分的な調査で全体の見通しをたてようとするときに採用される調査方法です。

 
 

ところで、トレンチの幅が3mなのには理由があります。例えば建物跡は、柱の間隔が1.8~2mのことが多いため、トレンチ幅1m程度では見逃してしまうこともしばしばです。古代の柱をすえる穴(柱穴)の大きさは大体50cm~1mであるため、柱穴の並びを見るためには最低3m幅のトレンチが必要になります。
これまでの調査では、古代の建物は今回の調査地から北約150mの地点(第6次調査、昭和54年度)で、倉庫と考えられる2×4間の礎石建物が見つかっています。また、同じく今回の調査地から北約100mの地点(第16次調査、平成4年度)でも、古代までさかのぼる可能性のある建物が見つかっています。ただし、今回調査を実施する讃岐国庁碑周辺では、まだ古代の建物は見つかっていません。

第6時調査の様子

第6次調査(昭和54年度)で見つかった建物

しかし前日の項で述べたように、このエリアでの古代瓦の出土量は多いことが特徴です。これらの瓦は、今回の調査地から南西約120mの場所にある開法寺との関わりだけで理解するには、あまりに出土量が多いため、付近に何らかの別の施設があると見た方がよいように思われます。
さて、今回の調査に話をもどします。土の色や質の変化に留意しつつ、耕作土の下を掘り下げていくと、現在の耕作土の下側に古い時代(おそらく江戸時代か、それ以前)の耕作土が堆積しており、さらに下側に2層の遺物を含む地層(遺物包含層)が確認できました。遺物包含層からは、6世紀から12世紀頃の土器や瓦が見つかりました。特に瓦が多いことは、近くで行われた以前の調査(第2・7次調査)と同じ傾向です。また今回見つかった軒平瓦には、第7次調査の築地状遺構の側溝で見つかったものと似た文様があり、やはりこれらの一帯が同じ施設であった可能性を示しています。

29-1トレンチで見つかった軒平瓦

第7次調査で見つかった軒平瓦

本日の土層の観察では、2つの遺物包含層のそれぞれ下の面に、柱穴や溝などの過去の痕跡=遺構があるように見えました。一部では、柱穴の平面が見えるところがありますが、湧水の処理の仕方を考えながら、遺構の輪郭を出していくことになります。

11月14日 発掘調査、始まる

国府の里では、秋の実りの収穫が終わり、刈り取られた稲株が真新しい田んぼは、少しずつ冬の景色へと変わってきています。
このほど、平成23年度の讃岐国府跡の発掘調査(第29次調査)を開始することになりました。これもひとえに地元の方々のご理解とご協力によるものであり、厚く御礼申し上げます。
今年度の調査箇所は、平成21・22年度(第27・28次)の調査区から南に約200~300m、讃岐国庁址碑の西側と南側にあたります。この地点での調査期間は、平成23年11月14日(月曜日)~平成24年1月31日(火曜日)を予定しています。
付近では、これまでの発掘調査により、1.9~10世紀の築地(ついじ)状遺構と側溝(第7次調査、昭和55年度)、2.9世紀の遺物包含層(整地層か、第2次調査、昭和52年度)などが検出されています。ともに国府推定範囲の中では古代瓦の出土量が多く、また2.では緑釉瓦など極めて特殊な遺物が出土していることから、平成21・22年度に発掘を行ったエリアとならぶ、重要なエリアと考えられています。

築地状遺構

築地状遺構(第7次調査)

復元された築地

復元された築地(讃岐国分寺跡)

今年度の発掘調査は、このエリアでの施設(官衙)の有無や範囲、内容について、詳しい情報を得ることを目的に実施します。
まずは、官衙(役所)の区画施設(築地・溝・柱穴列など)があるかどうかを確認するために、幅3mのトレンチ(試掘溝)を東西に長く設定します(29-1トレンチ)。その場所は、1.の第7次調査区の南側にあたる場所であり、そこで見つかった築地状遺構などが南側に折れ曲がって延びる可能性を考えています。29-1トレンチでの遺構(過去の痕跡)の状況を踏まえ、その後の調査の仕方を検討したいと考えます。
初日は掘削に使うパワーショベルを現地に搬入し、29-1トレンチ周辺の田んぼの耕作土(天土、あまつち)をはぐ作業をしました。黒く細かな耕作土は、稲作には欠かせない大切な土です。調査が終了した後、元の状態に戻すために、それより下の掘削土とは別に置いておきます。パワーショベルのオペレーター(運転手)の腕が試される、最初の場面です。

掘削機械

パワーショベルが現場へ

耕作土をはぐ

耕作土をはがしていく

耕作土をめくると、その下から赤い土が顔をのぞかせます。田に張った水が下に抜けないようにするための床土(とこつち)です。黒い天土と赤い床土が、田んぼに見られる典型的な表層(表面の地層)です。これらの土の下に、古い時代の地層が眠っています。

 

明日は、その下の地層へと進んでいく予定です。

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