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公開日:2020年12月10日

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[農村技術・食文化] ちょっと一服、麦と茶

伝味農村技術・食文化

ちょっと一服 麦と茶

ちょっと一服しませんか
冬は熱い緑茶で、夏は冷たい麦茶で
お茶にも麦にも、讃岐ならではの物語があります。

茶畑の写真

高松市西植田の茶畑

伝常は麦ご飯

讃岐の麦は全国的に見ても上質とされ、昭和に入ってからは、兵庫、岡山と並び「三県麦」と呼ばれ、高く評価されていました。
かつての農家では、米のご飯を炊くのは特別の日だけ。日々のご飯は麦飯。例えば大正初年ごろ、米と麦を混ぜたご飯を「ハンバク」とか「ハンバクメシ」とか呼び、米三、麦七の割合で炊いていました。麦と米を半々で炊けることは少なかったそうです。
米や麦は唐臼に入れ、2人がかりでついて精白します。麦は、途中でつくのをいったん止めて、けんどでふるいおろしてヌカを抜き、また白くなるまでつきあげます。綾川の流域や谷川が流れるところでは、水車による精白が行われ、その粉でおいしい讃岐うどんが生まれました。

宝あなたの残したい讃岐の”おたから”提供 ふるさとおたから情報

「五郷の水車」
観音寺市大野原町有木の里にある「五郷の水車」。2013年に地元の人たちで結成する「五郷里づくりの会」が小屋と共に水車を復元しました。

五郷の水車の写真

五郷の水車/平家伝説も語り継がれる五郷の新名所です。

「高原製粉精米水車場」
高松市六条町には、高松藩の御用水車として建設され、300年以上の歴史がある日本国内最古級の水車場で、2016年国の登録有形文化財に登録されました。

味殿さまの銘茶

昔の農家では、田の畦(あぜ)や屋敷の内にわずかな茶の木があり、田植えが終わり一息つくと、家族総出で茶摘みをする姿が見られました。

そうした素朴なお茶とはひと味違う香川の銘茶は、約350年前に初代高松藩主松平頼重公が、茶会に用いるため現在の栗林公園に、茶園を造ったことに始まります。また、高松の山間部や三豊市高瀬町でも、お茶が育てられてきました。例えば「高瀬茶」は、昭和天皇皇后両陛下ご来県の折に新茶を献上したこともあるほど、質の良いことで知られています。そうした県産のお茶を使い、ドリンクはもちろん、さまざまなスイーツなども作られてきました。

高瀬の茶畑の写真

高瀬の茶畑/毎年新茶の時期に開催される「高瀬二ノ宮ふるさとまつり」では、茶摘み体験が行われています。

さぬきのおたから総力取材

讃岐もち麦「ダイシモチ」

お大師様ゆかりの健康食材
もち麦は、もち性のある裸麦で「弘法大師が唐から麦の種を持ち帰った」という伝説があります。瀬戸内海沿岸では、古くからもち米の代用品として栽培されてきました。麦穂が風雨に倒れやすいのが欠点でしたが、平成9年、善通寺市の四国農場試験場(現・農研機構)において倒れにくい種へ改良され、善通寺ご生誕の弘法大師にちなみ「ダイシモチ」と名付けられました。精白米の約30倍の食物繊維と水溶性食物繊維(β-グルカンなど)も豊富に含まれます。コレステロールの低減や腸内善玉菌を増やす優れた食材として注目を集め、作付面積も拡大。平成27年には75トンを収穫しています。白米1合に対し大さじ2杯の割合で混ぜ、2時間ほど浸水して炊けば、もちもちプチプチとした食感を楽しめる主食(麦ご飯)になります。みそや焼酎に、また、製粉したものはうどんや蕎麦、パン、お菓子にも使われ、地域の農商工が連携して商品開発や普及強化に取り組んでいます。

ダイシモチの写真1

成分性質から丸麦に加工。炊きやすく食べやすい健康食材として、販売もされています。

ダイシモチの写真2

成熟期の「ダイシモチ」の麦穂は紫色で、粒も紫です。

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