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公開日:2022年7月5日

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収蔵品紹介(11~20)

ハイカゴ昭和時代(戦後)(第20回2022.5)

々島(三豊市詫間町)には水田がなく、畑では戦後すぐの昭和25年頃までは麦とさつまいもが中心で、除虫菊やトウガラシなどを少しつくっていました。その際使用したのが、このハイカゴです。島外から調達した稲藁を編み、直径約30センチメートル、高さ約50センチメートルほどの円筒形をしており、背負うためのひもがついています。さつまいもや肥料などを入れて畑仕事に使われた島の中心的な運搬具でした。

ハイカゴ

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイカゴ和時代(戦後)

電信和文タイプライター和時代(第19回2022.3)

昭和中期頃まで、すべての家庭に電話はなく、家に電話がない人たちと連絡を取りたい場合は、電報などを利用しました。
電信和文タイプライターは、昭和25年から59年までの間、電信通信業務用に25,000台以上生産され、電報業務に利用されました。
本資料は、かつて下笠居郵便局(高松市中山町)で使用されていたものですが、製造元ラベルや品番などが、すべて剥がされており、機器の詳細はわかりません。
ボタンを押すと、先にカタカナの文字がついたハンマーが動き、紙に縦書きで印字されます。またキーボード配列は、私たちがパソコンで使用している配列とは違っており、「電信カナタイプ配列」と呼ばれる配列となっており、「殿」など使用頻度が多い文字が中央部にあります。

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電信和文タイプライター昭和時代

様々な藁の履物(はきもの)(第18回2022.2)

【左】草鞋(わらじ)…多くは稲藁ですが、麻や井草などで編まれたものや、布切れを併せて用いるものもあります。日本の伝統的な履物。
つま先の2本の「緒」を、左右の小さな輪である「乳(ち)」に通し、さらに踵にある「かえし」に通して足首に結びつけます。長時間の労働や、遠方に出向く際に使用されました。
1950年代に各種の靴が普及すると衰退しました。現在でも「二足の草鞋を履く」など草鞋に関することわざが多くのこされています。

【中】足半(あしなか)…踵の部分がない短い草履。鎌倉時代からあり、足裏に密着するので滑り止めとして武士が好んで用い、江戸時代には農山漁村でも作業の際に使用されました。

【右】牛のくつ…牛の爪を保護するために稲藁で編んだ草鞋。固い道や砂利道などを荷車でひかせる際に使用されました。

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様々な藁の履物(草鞋・足半・牛のくつ)昭和時代

先鍬製作工程資料(高松市塩江町)(第17回2022.1)

塩江町安原で農具職人をしていた橋本澄雄氏製作の先鍬(サキンガ)製作工程資料です。先鍬の鍬部を風呂(フロ)と呼ぶことから、他地方では風呂鍬などと呼ばれます。弥生時代の遺跡からも出土し、風呂部の先に鉄の鍬先がはめ込まれて使われました。東日本では柄から鍬先まで枝木を用いて一体的に製作されることが多く、西日本では柄と風呂部を別に作り風呂部に柄穴を開けてクサビで接合するタイプが多いと言います。
原木の樫の木の板に型板を使って墨入れをし、かつては表を鉋がけし裏を手斧(ちょうな)ではつる「荒なぐり」をし、次に鑿で穴を開け鋸で四隅を切り落とす「みみ挽き」をし、その後「中削り」、「仕上げ」の工程をへて、柄を入れ、最後に鉄の鍬先を入れて完成となります。

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先鍬製作工程資料(高松市塩江町)昭和時代

安全炬燵(あんぜんこたつ)(第16回2022.12)

本資料は、「回転炬燵」や「船炬燵」とも呼ばれており、寒気が強い冬場、手足を温めるため蒲団の中に入れて使用されました。炬燵という名前ですが、その機能から行火(あんか)の一種と言えます。
六角柱の筒形格子内に金属製の火入れが取り付けられており、この火入れに燃やした炭や炭団を入れ、暖を取りました。うっかり足で蹴飛ばして転がしても、火入れ部分が回転し、常に水平を保ち、火種がこぼれないような仕組みとなっています。資料名の通り安全性に工夫がなされています。

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安全炬燵(あんぜんこたつ)和時代

瓦木型ほか(粟島瓦製作資料)(第15回2021.11)

粟島(三豊市詫間町)には、戦前、西浜地区に10基を超える達磨窯があり、瓦生産が盛んでした。粟島の瓦は耐寒性に優れていたため、北前船で山陰や東北方面にまで販路を広げていたといいます。達磨窯は、今は保存修理された一基のみを残し姿を消してしまいましたが、この製作用具はその地域の窯で使用されたもので、往時を物語る貴重な資料です。平瓦や丸瓦の木型、軒巴模様の陶型や平唐草模様の木型などがあります。
瀬戸内の島では、今も淡路島で瓦生産が盛んですが、かつては岩黒島(坂出市)でも盛んに行われていました。石材や醤油など、重量のある産物や製品を運ぶのに海運は便利だったのでしょう。

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瓦木型ほか(粟島瓦製作資料)前戦後

煙草(たばこ)道具(第14回2021.10)

煙草は戦国時代にポルトガルの宣教師により持ち込まれたと言われています。伝来当初は高価なものでしたが、江戸時代に入ると各地で栽培されるようになり、身近な嗜好品(しこうひん)として喫煙が広まりました。

煙管(きせる):煙管は刻み煙草を吸う道具であり、煙草を詰める所を「火皿」、火皿を支える部分を「雁首(がんくび)」、煙草を吸う部分を「吸い口」、雁首と吸い口の中間部分を「羅宇(らう)」と呼び、多くは竹が使用されました。

煙草(たばこ)盆:室内で喫煙するのに便利なように炭火・灰落し・煙管などをまとめておく什器。陶器製の「火入れ」の中に置かれた炭火で火をつけ、竹製の「灰吹き」に灰を捨てます。

煙草入れ:外出先などで喫煙できるように考えられた携帯用喫煙具。通常、煙管を入れる筒と、刻み煙草を入れる袋や箱、帯に引っ掛けるための留具である「根付」などがセットとなっている場合が多く、喫煙具であると同時に装身具としても利用されました。
本資料には、意匠を凝らした牛の形をした煙草入れの中に、刻み煙草が当時の状態のままのこされています。

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煙草(たばこ)道具戸時代後期~昭和時代

伊勢型紙(琴平染物屋資料)(第13回2021.9)

昭和40年代まで琴平の染物屋で使用されていた着物や手ぬぐいなどの染色のための型紙・伊勢型紙です。1,000枚余りが収蔵されています。美濃和紙などに柿渋を塗った型地紙をつくり、縞彫り(引き彫り)、突彫り、道具彫り、錐彫りなどの技法で模様が彫られています。
縞彫りは定規と彫刻刀を使って均等に彫っていくもので、突彫りは絵画的な模様に用いられます。また道具彫りは花などの模様にした刃先の彫刻刀を用いて彫るもので、錐彫りは半円形の刃先の彫刻刀を回転させて描き出すものです。熟練の技と洗練された多様な文様は、近年、型紙以外のさまざまなデザインにも活用されるなど注目されています。

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伊勢型紙(琴平染物屋資料)前戦後

カミナリサン(第12回2021.7)

ひと昔前では夏になると、家にある井戸の中にスイカを放り込み、冷やして食べることがよくありました。
冷蔵庫が発達する以前では、食べ物が腐りやすい夏期、一時的に保存するために井戸が多く利用されました。
本資料は、釣瓶式の井戸を使用した際、井戸の中に釣瓶などの物を落とした時、拾い上げる道具であり、香川県や徳島県では「カミナリサン」と呼ばれていました。
本資料中にある輪状の穴に麻紐など頑丈な紐を通し、ひっぱる・伸ばすなどして、爪状部分を開閉させ、落下した物を挟み、ひろい上げます。

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カミナリサン和時代

たたき鎌(丸亀団扇製作用具)(第11回2021.6)

丸亀団扇は、江戸時代はじめ頃には製作がはじまっていたとされ、現在、全国シェアの約90%を占めています。また、平成9年(1997)に国伝統工芸品に指定され、平成23年(2011)には、その製作用具及び製品487点が国登録有形民俗文化財に登録されました。
団扇づくりは、本来47の製作工程がありましたが、本資料はその最終工程に近い型切りの工程で用いられる「たたき鎌」です。団扇のかたちにあわせて、さまざまな型のたたき鎌があり、木槌で叩いて不要な部分を切り取ります。

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たたき鎌和時代(戦後)

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