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公開日:2025年8月26日

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発掘現場通信
宮脇町一丁目(みやわきちょういっちょうめ)遺跡

鎌倉時代の溝発見!

調査終盤となる6月、江戸時代の遺構の下から鎌倉時代(12世紀末から14世紀初頭)に機能した溝を確認しました。調査の結果、溝は下半が機能していた時期に堆積したとみられる円礫混じりの砂層で、上半が機能しなくなった時期に堆積したとみられる泥層で埋まっていることが判明しました。溝からは土師質土器杯や皿に加えて、西村遺跡(綾川町陶)で11世紀中ごろから13世紀代まで生産された西村型土器椀や11世紀後半?13世紀前半の近畿地方西部で生産された瓦器椀、中国の龍泉窯で生産されたとみられる青磁器といった年代の指標になる遺物も出土しました。
の遺跡周辺の中世頃の状況については詳細がよくわかりませんでしたが、2区の発掘調査によって湧水が激しい土地に対して、排水溝を掘ることで活用しようとした状況が明らかになりました。また、溝から出土した土器は摩滅が少ない、良好な状態のものが多いため遠方から流れ込んできたものではなく、周辺の集落から投棄されたものと考えられます。

近世の遺構と中世の溝 溝の堆積状況
近世の遺構と中世の溝 溝の堆積状況
溝の出土遺物  
溝の出土遺物  

現地説明会を開催しました。

宮脇町一丁目遺跡では、5月下旬から第2調査区の調査を行っています。6月7日(土曜日)には、遺跡の現地説明会と遺跡の周辺を歩くまち歩きを開催しました。宮脇町一丁目遺跡の第2調査区では、第1調査区と同様に東側がビルの基礎によって破壊されていましたが、調査区の南端部で焼土を含む包含層が広がっていました。焼土を含む包含層の中には、江戸時代後期の瓦や土器片を多量に含む落ち込みや戦災で焼けた土を多量に含む(高松空襲で被災した層)落ち込みが検出されました。この落ち込みからは大正時代のお金や昭和時代初期の歯ブラシが出土しました。
まち歩きでは、江戸時代の古地図を基に、遺跡の周辺の神社や寺院を巡りました。遺跡周辺は高松空襲によって焼失した建物が多いですが、地割は現在でも踏襲されている箇所が多く、周辺の歴史を感じながらまち歩きを行いました。
現地説明会では約100名、まち歩きは約20名の方に参加していただきました。宮脇町一丁目遺跡の発掘調査は、7月末まで調査を行う予定です。

宮脇町一丁目遺跡第2調査区空中写真 石清尾八幡神社境内にて高松藩主寄贈の石灯籠を見る。
宮脇町一丁目遺跡2調査区 空中写真 まち歩き清尾八幡神社境内にて高松藩主寄贈の石灯籠を見る。

 

現代の開発の狭間で江戸時代の遺跡が見つかりました

香川県埋蔵文化財センターでは、都市計画道路錦町国分寺綾南線拡幅工事に先立って宮脇町一丁目遺跡(高松市宮脇町)の発掘調査を4月から行っています。遺跡は高松城下町の南東部にあたり、江戸時代には五百羅漢を祀る寺と知られた祥福寺(しょうふくじ)があった場所ですが、現在は開発が進み、市街地となっています。
現在調査を行なっている調査地北端部(1区)では、東側の半分以上がビルの基礎で破壊されていました(写真1)。しかし、幸いにも調査区西端の幅約1.5mの範囲で、江戸時代末の柱や溝、廃棄土坑(ゴミ捨て穴)の跡(写真2)が見つかり、そこから陶磁器や土師質土器、燈明(とうみょう)皿(ざら)(灯りを灯す道具)、瓦といった様々な遺物がたくさん出てきました。これらはかつて存在したお寺との関連を思わせます。これらのあった地面をさらに深く掘削すると、水の流れがあったことがわかる川砂層が見えてきました。この近くを流れていた香東川の古い流れの跡と考えられます。(写真3)。
調査は南に移動しつつ、7月末まで実施する予定です。北端の1区では複数の瓦・様々な燈明皿等、お寺を連想させるような遺物が見つかりましたが、残りの2・3区ではどういった手がかりが得られるのか、楽しみです。

1区全景

見つかったゴミ穴

1区全景(南から)半分以上が建物で壊れた跡

見つかったゴミ捨て穴

 

古い川の跡

 

一番下が川砂層  

 

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