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公開日:2016年1月29日

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釜ケ淵、雨乞いの秘史

釜ヶ淵は、その昔から雨乞いの淵として有名で、神の淵としてあがめられ、今もその祠が残されています。

時は天明5年(1785年)5月、この年も日照り続きで村人は水不足に大変困っておりました。そこで朝倉神官七代の権之進が雨乞いの祈願を行うことになりました。

身を清め、ご先祖様にお参りをした後、釜ヶ淵の小屋にこもって、毎日古式にのっとり一生懸命に祈願すること十数日。しかし来る日も来る日も雲ひとつない空からは、じりじりと太陽が照りつけ、大変な暑さに草木は枯れ果てようとしていました。ひげぼうぼうでやつれ果てた権之進は、「我が心、いまだ神に通じず」と嘆き、さらに命を賭けて雨を願うことを決意したのでした。

6月16日、今日も朝から照りつける太陽は、野山を焼きつくすような暑さでした。この日、権之進は期するところがあり、懐剣を淵に投げ入れ、全身全霊を打ち込んで祈り続けていました。

すると雲ひとつなかった阿讃の山頂に黒雲が立ち昇り、一天にわかにかき曇り大粒の雨がぽつりぽつりと降り出してきました。そしてあっという間に、閃光がきらめき轟音がとどろくと、たちまち大雨が降り注ぎ、上流の二つの谷間からは濁流が堰を切って流れてきました。権之進は「吾が願い神に通じ、ありがたいかな、もったいないかな」と喜びあふれる村人達とともに感激の涙にくれました。

そしてこの身は神に捧げたものと、この日三十七歳の若さで黄泉の国へ旅立っていきました。権之進が亡くなったことを聞いた村々の人々は、嘆き悲しみ、棺の前には人山が築かれ、後に権之進神官を霊神(れいじん)として奉ったと伝えられています。

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