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公開日:2020年12月10日

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農林漁家民宿開業支援セミナー はじめてみよう農林漁家民宿~もてなす心でもたらす幸せ~

はじめてみよう農林漁家民宿~もてなす心でもたらす幸せ~

令和元年8月28日に開催した農林漁家民宿開業支援セミナーでは、大分県宇佐市安心院(あじむ)町で、農家民宿を営む中山ミヤ子さんにお越しいただき、「人との出会いを楽しむ農村民泊」と題してご講演いただきました。

町をよくするためグリーン・ツーリズムに参加

“安心院をよくするための会”を作る
そんな話が平成8年にあり、私も入ることにしました。それが“グリーン・ツーリズム”の会でした。その時はグリーン・ツーリズムという言葉すらも知らなかったですね。
考えてみると、湯布院が隣にあり、近くには別府があり、多くの観光客が訪れている。でも安心院のことを知っている人はほとんどいない。そんな町でしたから、安心院町を良くする会ということなら私も入らなければと思い、すぐに入りました。

地域で色々なイベントを行っていましたが、平成9年3月に町民、行政、その他色々な団体も一緒になって町おこしを始めようということでグリーン・ツーリズムの宣言※を行いました。
その時に来られたお客さんを私の家に泊めようとなったことが私の農泊の始まりでした。

※平成9年3月 安心院町議会において「グリーン・ツーリズム推進宣言」を議決

私もうっかりしていたのですが、その日は甥っ子の結婚式の日だったのです。これは困ったことになったということで、グリーン・ツーリズムの会長さんに事情を伝え、泊めることが出来なくなったとお断りをしました。ところが、その時に会長さんが言うのです。「あなたの結婚式であればその後、新婚旅行に行くだろうけど、あなたの結婚式じゃないから終われば家に帰るだろう?」と。もちろん私は家に帰ると言いました。そうすると、「それまでは僕が預かります。だからその後は引き受けて下さい。」なんていう会長の実に厚かましい意見だったのです。結婚式の会場は大分市内でしたから、困ったことになったなとは思ったものの、まあいいかと考え、会長さんに受けますと伝えました。
今考えると、よく引き受けたものだと思うのですが、無理やりお願いしてくる会長さんも会長さんですよね。でも、会長さんのあの押しが無かったら、今の私は無いと思います。田舎なので色々な行事がありますから、もしその時引き受けなかったら、「今回はだめ」「今度もだめ」となって今の宿をしていなかったと思います。上に立つ方はそれくらい押しの強さも必要なのかなとは思いますね。そのおかげで22年間続いているのかなと思います。


「安心院」はグリーンツーリズムのまち

はじめてのお客さんとの出会いが民宿の継続に

こうして、初めてのお客さんを迎えることになったのですが、このお客さんがとても素晴らしいお客さんでした。新聞記者さんと福岡から来られた建築会社の会長さんでした。食事を終えみんなで話をしていますと、その会長さんがこんなことを言うんです。「私は長いこと会社をやって、息子に跡を譲ることになったので自分の作った建物を見て回りました。そうしたら、全部の建物が灰色。綺麗な屋根をした家は一軒も無かった。」と。おそらく、官公庁などの大きな建物を作ったのでしょう。「私の人生は灰色だったのかな。」そう仰るのです。「そんなこと言わないで、大きな建物を作ったんでしょう?」と私は言いました。
私の人生を振り返ってみると毎日、田んぼや畑で土ばかり見ていました。朝起きて田んぼにいって、お昼には家に帰り、家のことが終わればまた田んぼに行く、そういうことばかりを繰り返していた私ですから、「そう言われたら私の人生は土色ですよ?同じですよね。」と言って笑い合い、その夜は色々なことを夜遅くまでお話ししました。一晩きりのお客さん、もう2度と会わないであろうお客さんですから、お互い好きなことをお話ししました。相手も好き勝手お話ししてくれますし、私も自分の思っていることを好き勝手にお話ししました。
次の朝、目が覚めますと、何十年ぶりかというくらい気持ちがスカッとしているんです。自分の思った好きなことを話せる、遠くの人っていいなぁとつくづく思いました。これが私の最初の農村民泊でした。これでお金をいただける、こんないいことはないなと考えました。
それでも、もう今回限りだろうなと思いました。ところが、また次の週もそのお客さんがお友達を連れて来てくださる、その次はそのお友達がまた別のお友達を連れて来てくださることになりました。
こうして私の農泊が始まり、現在まで続いています。
毎年、4~6月は修学旅行のお客さんが多いです。今年は東かがわ市の中学生も来られましたよ。
4月は台湾からもお客さんがいらっしゃって、私は初めてだと思っていたら4年前にも来ましたと言われました。4月下旬には17年ぶりというドイツからのお客さんも来てくれました。子供が生まれたので絶対に連れて来たかったそうです。
5月の連休が終わるころには、福岡からもう20年くらいずっと来ていただいているお客さんが、赤ちゃんのころから連れて来られていたお子さんが就職されるということでその報告をかねてお越しいただきました。こんな風に、人生の節目節目に我が宿に来られる方が結構いらっしゃいます。「進学した」「結婚した」「初孫ができた」というような出来事の折にお越しいただき、近況報告をしてくださるお客さんが多いですね。


農家民宿 舟板 昔ばなしの家

代金は次来た時でいいよ その言葉から繋がる縁

7月は、夏休みが始まりますので、大阪で高校の先生をされている方が来られました。この方は、毎年のように来られていますが、15年前に我が家に初めて泊まられました。2泊3日泊まられ、帰って行かれたのですが、その方は大阪までフェリーに乗って帰られるので、港につきましたという電話をいただいたのです。なんだか元気が無いようなので、「どうしたの?船に乗れなかったの?」と聞いたら、「お金を払うのを忘れていました。どうしましょうか?」と困った声で言うのです。私もすっかり代金をいただくことを忘れていまして、しかたがないので「いいよ。この次来た時でいいから。」と言いました。それがとても珍しかったのでしょうね。初めていって、もう2度と来ないかもしれないのに、お金は次に来た時で良いと言われたことが。そのことを、その先生がある雑誌に投稿されたそうです。安心院にはこんな面白い人がいると。そしたら、ある時泊まりに来ていた方、たしか京都にある大学の教授さんだったのですが、「安心院には面白い方がいらっしゃるらしいですね。代金は次に来た時で良いよという人が。」なんて仰るもので、つい「それは私ですよ」と答えてしまいました。雑誌の記事には安心院とだけあって、宿名は書かれていなかったそうですが、それがまた安心院の宣伝にすごく効果があったようです。その後も、あの記事を見たという方がずっと後の方まで来てくださいました。名前を書かなかったのが逆に良かったのかもしれませんね。
その高校の先生は、後日すぐにお金を送ってくださいました。お金と一緒に、大阪の名物をほんとにたくさん入れて送っていただきました。かえって申し訳なくて、これからはきちんとお金をいただかないと逆に迷惑をかけてしまうなと思い、それからは忘れたことはありません。それからその先生は毎年のように来てくれています。1度だけどうしてもいけないということで、同僚の方がいらっしゃいました。その同僚の方も、それから毎年来ていただいています。
いろんなエピソードがありますが、それらがみんな良い方にかわって楽しい農泊を続けられています。お客さんも楽しいかもしれませんが、私が一番楽しいんですね。

美味しいものを食べると人間は元気になれる

そういえば、つい先日、もう社会人になっている子なのですが、電話がかかってきました。「おかあさんどうしてる?声は元気だけど本当に元気?」なんてことをいうので、「おばあさんになってしわも増えたけど、年相応に元気よ。」と答えました。
その子は東京の大学に通っていたのですが、1・2年生の時はとても明るくて、とてもいい子だったんです。ところが、4年生になったら学校に行けなくなって、引きこもりになってしまったんだそうです。大学の教授から電話があり、「もう半年も学校に来ていない。親とも連絡を取っていない。拒食症があり、うつ病があり、友達との交流も全然無い」とおっしゃるんです。私は、「それは誰ですか?」と名前を尋ねたら、それが我が家に来ていた大学生の中で一番いい子だと思っていた子なんです。そこで「先生、うちの部屋を1つ空けますから、来させてください。東京のど真ん中で寝るより、うちに来た方がいいですよ。」と言いました。1ヶ月くらいたって先生から連絡があり、本人に聞いたらとても喜んでおり、絶対行くと思うのでお願いしますというんです。しばらくしたら当の本人から「お母さん、本当に行っていいの?どうすればいい?」と電話がかかってきましたので、「飛行機に乗るだけでいいよ。空港まで迎えに行ってあげるから。」と言いました。大分に来る日、私は車を運転し大分空港に迎えに行きました。

大分の空港はそれほど大きくないので、到着口は狭いんです。それに、その彼は背が大きくて、185cmくらいはあり、周りの人より頭一つくらい抜けているものですから、出てくるところを見ていたら分かるだろうと思い見ていたんです。最後の1人まで確認しましたがいないんですね。やっぱり来られなかったのかなぁと思っていました。とりあえず家に帰って、今日中に電話をかけてみようかなんてことを考えていたのですが、後ろから「お母さん」と呼ぶ声が聞こえるんです。振り返ってみるとその子が立っていたのですが、その顔をみてびっくりしました。顔は白くて、目は虚ろ、背が伸びておらず、185cmどころか周りの人達よりも小さいくらいに背中を丸めて立っているんです。あまりの変わりようにびっくりしましたね。ご飯を食べていないことが一目見て分かりました。

その子の好物が、先程写真でお見せしました鶏(かしわ)飯だったんですね。ですから、迎えに行く前に作っておきました。拒食症と聞いていたので、食べられなくてもいいと思いながら、先に作っておいて迎えに行きました。家に着き「あんたの好きな鶏飯よ。」といい差し出すと、いきなり無言でパクパクと食べはじめました。3個もいっぺんに。食べ終わって本人も気づいたのでしょう。「おかあさん、僕食べたよね?食べられたよね?」と言うので「食べたよ。あんた3個食べたよ。」と言ったら「美味しかった。」って言うんです。それがきっかけで、段々と食べられるようになっていきました。あの時、私も写真を撮っておけばよかったと思ったのですが、丸まっていた背中が日を追うごとに段々と真っ直ぐに伸びて、目も黒くなっていき、元気を取り戻していきました。やっぱり、人間はご飯を食べていないといけないですね。


宿の入口 中には囲炉裏


囲炉裏を囲んでの食事


人気の鶏飯は炙れば香ばしくさらに美味しい

人間が本当に求めていることはこういった昔ながらの体験ではないか

10日ぐらいたった時に、その子がもう東京に帰るというんですね。私は、「私は、あんたをうちの子にするつもりだよ。どうして帰るの?何が気に入らないの?」と聞きました。そうしたら言うんです。「僕はだいぶ良くなったから帰らないと。今、親父たちの景気が悪いのに、大学がもう一年延びたらまた学費がかかる。大変だから、もう帰って学校に行きます。」と言うんです。そうか、学校に行きたいのなら帰りなさいということで送り出したんです。ご両親にもとても喜ばれました。お母さんは、家では半年間、その子の近くをうろうろするだけだったそうで、「たった10日ほど安心院に行っただけで元気になって帰ってきました。どういうふうにしたのですか?」と聞かれました。「なにか飲ませたのですか?」なんてことも聞かれましたので答えました。「何も飲ませませんし、お医者さんにもかかっていませんよ。ただうちにいただけです。」と。
元気になって東京に帰った彼は、卒論に取組み、私のことを卒論に書きたいと言い、卒論執筆のためまた安心院に来てくれました。1週間程こちらにきて、卒論を書き上げ、また帰っていきました。無事、大学を卒業し、今は立派な社会人として頑張っています。素晴らしい奥様と巡り合うことができ、結婚もして、子供さんも生まれ、今年小学生になったそうです。そんな子からいつも電話をいただき、私が元気かどうか心配してくれるんですね。本当に嬉しいことです。

日本全国、後継者は少なくなっています。農林水産省で選んだ「おかあさん100選」※というものがあって、私もそれをいただいています。そのおかあさんたちで時々集まる機会があるのですが、みなさん後継者がいないと嘆いています。我が家は、娘があと5年で退職なのですが、辞めたら継いでくれると言っています。私も、歳はとっても、娘が継ぐまでは頑張ろうと思って続けています。こちらが楽しんでやっているのが、娘にも伝わっているようです。孫の中にも1人やりたいという子がいますので、しばらくは安泰なのかなと思っています。

※農林漁家民宿おかあさん100選…平成19~21年において農林水産省、観光庁の連携事業として、農林漁家民宿の経営に成功し、地域活性化に寄与している“農林漁家民宿おかあさん”を全国で100名選定。

農村民泊をやったことで、私が想像できないような事がたくさん起こりました。運よく人に恵まれて今があるのだと思います。みなさん、もし機会があれば、安心院にお越しください。こんなところでやっているのかというのをぜひ見に来てください。
そして皆さんもぜひ農泊に取り組み、香川県を農泊、グリーン・ツーリズムで有名な県にして下さい。やっているとたくさんの方が喜んでくれますよ。どうか挑戦してみてください。その際は、私もぜひ泊まりに寄らせていただこうと思います。


五右衛門風呂も人気


昔ながらの和室で就寝

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