ページID:25626

公開日:2021年7月9日

ここから本文です。

発掘現場通信 城泉遺跡

臼玉(うすだま)が見つかりました

前回、報告した子持勾玉(こもちまがたま)が見つかった土坑(穴)の土の中から臼玉が5点見つかりました。臼玉とは子持勾玉と同じく古墳時代のマツリの道具です。これらは子持勾玉が見つかったのと同じ層位(上層)で出土しており、子持勾玉と一緒にマツリで使われたと考えられます。
城泉遺跡では平成23年度の発掘調査でも、臼玉が出土しています。また、当時のマツリ道具として、他にも勾玉形石製品(まがたまがたせきせいひん)・剣形木製品(けんがたもくせいひん)・石製紡錘車(せきせいぼうすいしゃ)などが見つかっています。
さらに城泉遺跡の西側に隣接する田中遺跡では、琴柱形石製品(ことじがたせきせいひん)(やはり当時のマツリ道具)が見つかっています。
このように城泉遺跡の近隣では、様々な道具を使ってマツリが行われていた様子が見えてきました。(7月21日)

臼玉 見つかった臼玉

土坑 臼玉と子持勾玉が見つかった土坑(写真中央にあるのが子持勾玉)

 

古墳時代の掘立柱建物跡と子持勾玉が見つかりました

6月から城泉遺跡の発掘調査を始めました。城泉遺跡は国道11号大内白鳥バイパスの建設に伴って、平成23年度から断続的に発掘調査を行っている遺跡です。昨年度までの調査で古墳時代前~中期の竪穴建物群からなる集落跡などが見つかっています。
今年度の調査では、掘立柱建物跡や子持勾玉などが見つかっています。掘立柱建物とは地面に穴を掘って、そこに柱を据え付け、屋根を架ける建物です。
子持勾玉とは古墳時代中期から飛鳥時代にかけてマツリで使われた道具で、大きな勾玉の背・腹・側面に背中合わせの子勾玉を伴います。このような特殊な形状から、勾玉のもつ霊力を高めるため、小さな勾玉をいくつも加えたとも考えられています。県内では出土例が少なく、詳細なことはこれから調査する予定です。(7月5日)
掘立柱建物跡掘立柱建物跡 東から 子持勾玉.jpg子持勾玉

 

このページに関するお問い合わせ