ページID:15232

公開日:2020年12月10日

ここから本文です。

城泉遺跡 2018年度

香川県埋蔵文化財センター

現地説明会を開催しました

9月22日(土曜日)に、城泉遺跡の発掘調査現地説明会を開催しました。
説明会前日まで降り続いた雨の影響で参加者が少ないのでは、と不安でしたが、蓋を開けてみれば、90名近い方の参加をいただき、盛況でした。
説明会では、遺跡の立地を説明しながら、古墳時代の集落の調査成果を説明し、現在調査中の古墳時代の流路を実際に見て頂きました。流路の中から多くの木製品や木材が出土している様子に興味を持たれた方も多くいらっしゃったように思います。
また、これまでに出土した遺物の中で、残りの良い木器や土師器・勾玉などもあわせて展示しました。特に木製品や、完形の土器は注目を集めました。
現地説明会も終わり調査も終盤となりましたが、今後も新たな成果があれば、ホームページに公開していこうと思います。
最後になりましたが、説明会にお越しいただいたみなさま、お忙しい所お越しいただき誠にありがとうございました。

現場で古墳時代の流路の説明

出土遺物の説明

さらに、竪穴建物が・・

今年度の調査ではこれまでに2基の竪穴建物が見つかっていましたが、先日新たに2基が見つかり、確認された竪穴建物は4基となりました。
これらは、遺構の中から古墳時代中期(約1600年前)頃の土師器が出土すること、中期半ばから普及し始めるカマドが見られないことから、古墳時代前期から中期のものと考えられます。しかし、写真にもあるように、4基とも同じような方形をしているものの、主軸の向きは個々にばらばらです。また、竪穴2と竪穴4は大部分が重複しており、竪穴4が使われなくなり埋まった後に、竪穴2が築かれています。これらの4基は同時に使用されたのではなく、使われた時期にわずかな差があるようです。
建物内からは、おおよそ等間隔に配置された4つの柱穴が検出されました。地面を掘り窪めたのちに4本の柱を立て、その上に梁や桁を渡して屋根をかけていたようです。また、建物内の壁沿いには浅い溝(壁溝)が掘られていました。正確な用途はわかりませんが、建物内の排水溝としての機能も考えられます。
そのほかにも、中央の床面では、直径50cmほどの楕円形に広がる焼土(熱を受けて赤く変色した土)がみられました。周辺には炭が多量に散っており、火を焚いていたようです。建物の中に炉をつくり、煮炊きをしていたのでしょうか。
このように、調査が進むにつれて、住まいや暮らしの様子が明らかになりつつあります。湊川流域では、古墳時代前期後半から中期前半にかけて遺跡の形成が活発化するものの、具体的な集落遺跡の調査例は多くはなく、その動向ははっきりとしません。今回の調査が、周辺の古墳時代の集落の動向や古墳との関係を解明する、一つの手がかりとなるかもしれません。(8月21日)

竪穴建物1~4

竪穴建物3 4つの柱穴

 竪穴建物内部の焼土と主柱穴、壁溝

城泉遺跡から出土した、特徴的な遺物群

先日竪穴建物が見つかった城泉遺跡ですが、その建物の中からは、大量の土器が出土しています。今回はその土器の一部と、土器以外の遺物についても速報的にお伝えします。
まず、この遺構では、古墳時代中期(約1,600年前)に属する、非常に多くの完形(破損のない状態)に近い土器が出土しています。土器は、小型の壷・高杯が多く、煮炊きに使用した甕などは多くありません。土器の出土状況から、最終的には祭祀などに使用された可能性が考えられます。
最も目立つ小型の壷については、形にいくつかのバリエーションがあります。壷の底の形や口縁部(口の部分)の形等でいくつか分かれますが、その中でも特徴的な遺物が見つかりました。写真の土器は、壷の体部(内容物が入るところ)の真ん中に穴をあけています。これは“はそう”と呼ばれる須恵器によく似ています。“はそう”は、古墳時代に新しく登場する形の土器であり、写真のものは須恵器ではなく、土師器と呼ばれる素焼きの器です。
古墳時代中期から、全国的に窯で焼成された須恵器が出土し、はそうはその最も古い段階から作られます。その起源や系譜については謎の多い土器です。
城泉遺跡のこの土器群では、今のところ須恵器は見つかっていません。香川県で須恵器出土前後の微妙な時期にあるこの資料は、古墳時代中期の東かがわの歴史を考えるうえで、非常に興味深いものといえるでしょう。
また、このほかにも、石製の勾玉も見つかっています。勾玉は長さ3cmほどのもので、表面が磨かれ、穿孔されています。石材は現在検討中ですが、勾玉はアクセサリーのほか、祀りなどにも用いられ、これらの出土した遺構の性格を考えるカギとなるかもしれません。(8月7日)


出土した土師器のはそう?


石製勾玉

 竪穴建物から出土した大量の土器

暑さに負けず、大量の土器と格闘中!

6月より城泉遺跡の発掘調査が始まりました。城泉遺跡は平成23年にも調査がなされた遺跡で、今回は前回調査範囲の東側を調査しています。
前回の調査では、弥生時代~平安時代の河川・水路、古墳時代~奈良時代ごろの集落の存在が明らかになりました。特に、河川の中からは、木製の農具や祭祀具、船の部材の可能性がある木材が見つかっています。
古代以前は、現在よりも海岸線が内陸にあり、遺跡から海岸線までの距離も近く、近隣には港があったことも想定されます。旧大内郡唯一の古代寺院である白鳥廃寺が近くに存在することを考えても、当時の湊川の河口付近が、かつての東かがわ市域(旧大内郡)でも中心的な地域の一つであったと考えられます。
今回の調査では、古墳時代の竪穴建物が2基見つかっています。いずれも方形の平面形をもち、竪穴建物の埋没した土の中からは、残りの良い土器が多量に出土しました。周りはかつての谷筋や川が流れており、それらに挟まれた少し小高い地点に古墳時代では集落が営まれ、人々が生活していたようです。
夏の日差しは容赦なく照りつけますが、暑さに負けず調査を進め、かつての人々の暮らしや土地利用の様子に迫っていきたいと思います。(8月2日)


竪穴建物が見つかっている状況


竪穴建物の調査中。大量の土器と格闘中です

このページに関するお問い合わせ