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現在の調査区では、平安時代中・後期(約1000年~850年前)の灌漑用水を確保することを目的として出水状遺構を設けた溝が見つかりました【写真1】。
出水とは鹿の井出水(高松市太田下町)や二頭出水(善通寺市生野町)、長渕出水(三豊市豊中町本山)、神水出水(綾歌郡綾川町山田)といったように、県内各地で現在もみることができる灌漑施設で、今回、検出した出水状遺構も地下からの湧水を付属する溝に配水し、水田に供給するといった現代の出水と類似する仕組みであったと考えられます【写真2】。また、出水状遺構の堆積土や接続する溝から土師質土器(杯・皿・高台杯)や黒色土器椀といった年代特定の手がかりとなる遺物も出土しました【写真3】。
このように、詳細を掴めていなかった平安時代における是弘遺跡について、現代の灌漑施設につながるような遺構を見つけることができました。
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| 写真1出水状遺構と溝(南東から) | 写真2出水状遺構の埋没状況(北から) |
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| 写真3出水状遺構と溝から出土した土器 |
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