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会期 |
令和3年12月14日(火曜日)~令和4年3月21日(月・祝) 3月12日(土曜日)、13日(日曜日)、19日(土曜日)~21日(月曜日・祝日)は臨時休館 |
会場 | 香川県立ミュージアム常設展示室2 |
展示内容 | アート・コレクションは、美術作品や歴史資料など、県立ミュージアムの数ある所蔵品から美術に焦点をあて、鑑賞の楽しみを味わっていただく展示です。 本展では、同時期に活躍する二人の画家、野見山暁治と木村忠太の作品を紹介します。福岡県飯塚市出身の野見山暁治(1920~)は戦後12年間パリに暮らし、画業の礎を築き、2014年文化勲章を受章し、本年101歳を迎える現役画家です。高松市出身の木村忠太(1917~1987)は戦後よりフランスで活躍し、1984年フランス政府より芸術文化勲章(シュヴァリエ)を受章しました。 青年時代は、執りたい絵筆も思いのままにならない戦時下に生き、戦後、画家としての人生を取り戻した二人です。彼らは1950年代のパリに出会い、以降それぞれの道を模索し、それぞれの絵画は主張して、激しくも華やかな色彩を放ちます。 近年収蔵した作品から色彩に遊ぶ二人の競演をお楽しみください。 |
展示点数 | 8点 |
観覧料 | 一般410円(330円)*()内は20名以上の団体料金 *高校生以下、65歳以上の方、障害者手帳をお持ちの方は無料 |
日時など |
令和4年1月16日(日曜日)、2月19日(土曜日)各日13時30分より 参加無料・申込不要 観覧券が必要です |
1920年、福岡県嘉穂郡穂波村(現飯塚市)に生まれる。
1938年、嘉穂中学校(現県立嘉穂高等学校)を卒業し上京。東京美術学校受験のために香川県出身
の洋画家小林萬吾の画塾に通う。春、同校に入学。
1943年、戦争のため繰り上げ卒業。満州に出征するが肺を患い、帰国して療養所で終戦を迎える。
1952年、フランス政府私費留学生として渡仏(1964年まで)。
1956年、フランスの画壇、サロン・ドートンヌの会員となる。
1968年、東京藝術大学にて教鞭をとる。(1981年まで、以後客員教授、1986年以降名誉教授)
1994年、戦没画学生の遺族をたどり、戦没画学生の美術館「無言館」(1997年開館)の創設に尽力。
2000年、文化功労者表彰
2014年、文化勲章受章
2021年、「100歳記念すごいぞ!野見山暁治のいま」展開催(東京・京都)
1917年、香川県香川郡栗林村(現高松市)に生まれる。
1930年、香川県立工芸学校に入学するも後に病気のために中退。
1937年、前年に上京するが、広東省付近に出征。翌年病気で台湾にて入院し、1939年に帰国。
1943年、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に通う。
1945年、再招集を受け、中国北方で終戦を迎える。復員して高松市に帰郷。
1953年、援助を受けて渡仏。パリ到着直後、野見山暁治の滞在する日本人留学生会館(メゾン・デュ
・ジャポン)を夫婦で訪ね、しばし滞在する。
1970年、サロン・ドートンヌの会員となる。
1984年、フランス政府より芸術文化勲章(シュヴァリエ)を受章。
1987年、個展を開催したニューヨークからパリに戻り、数日間の検査入院中に急逝
野見山暁治《ここに居る》2019年、135.0×234.0cm、油彩・カンヴァス 本作はステンドグラス《みんな友だち》(東京メトロ青山一丁目駅設置)の原画準備のために制作した3点のエスキース(構図案)のうちのひとつ。最終的に別の構図が採用され、本作は絵画として仕上げられた。モチーフは草原であり、生い茂る草や樹木の葉のゆれを感じるようなダイナミックな作品。 |
木村忠太《丘の上の木々》1985年、130.0×162.0cm、油彩・カンヴァス 奔放な筆さばきと美しい色が生み出す画面は一見、抽象画のようだが、じっと見ると景色が見えてくる。立体は家だろうか、緑の平面は丘の緑だろうか、青は空だろうか、赤は夕日の輝きだろうか。木村は眺める景色を、一枚の絵の中にコマ送りの画像をワンシーンずつ重ねるように描くため、画面には時間の経過や場面のゆらぎが見出される。 |
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