ページID:15201

公開日:2020年12月10日

ここから本文です。

讃岐国府跡 調査現場から 14

香川県埋蔵文化財センター

興味深い遺構の出土


昨年末、最初の調査区の南約10メートルの地点に平行する2つめの調査区を掘りました。

2つめの調査区

すると、いろいろな可能性が見えてきました。
2つめの調査区の西端付近で、平安時代中頃(10世紀代)の平行するような方向を持つ大小2条の溝跡と、その間約2メートルに土器や瓦を敷き詰めたような整地層を確認しました。

同じような状況は最初の調査区の西端付近でも見られます。
この一連の遺構は、築地状の塀の基礎とその両側に掘られた雨落ち溝の可能性があり、慎重に調査を進めているところです。
2つめの調査区の東半部分では奈良時代から平安時代初め頃(8世紀~9世紀)とみられる深い溝が見つかりました。溝の東側の岸には木材を横たえており、護岸施設を備えていると考えられます。

深い溝
(2012年1月10日)

また一歩近づいた?

今年度の讃岐国府跡地の発掘調査を開始して、1か月強が経過しました。平安時代を中心とした遺構や遺物が見つかってきています。
遺構は溝が中心で、真北方向を取るものと、現在の地割りと同じ方向(条里の方向)を取るものの2種類に分けることができます。真北方向は条里方向以前のものと考えられています。調査地の西端で見つかっている溝は真北方向で、瓦の破片がたくさん入っていました。区画することを目的とするような性格の溝かもしれません。
遺物として特徴的なのは、たくさんの瓦片が出土していることです。これまでの調査地点とは違って瓦の量が多い点、軒先に葺く瓦(軒丸・軒平瓦)が見つかっていることは、瓦を葺いた建物が近辺に存在した可能性があります。また、役人がベルトに着けて位を表した石帯(せきたい)の一つである巡方(じゅんぽう)が見つかりました。材質は黒い石で、裏面にはベルトに縫い付けるための穴が数箇所みられます。巡方などは平安時代前半に金属製(銅製)から石製に替わったことから、この巡方は平安時代のものと考えられます。

巡方1 
(2011年12月22日)

デジタルの力

寒風が吹きすさび調査が始まって一番寒い1日となりました。そんな中でも調査は行っています。

測量機械
人の手に追うところの多い発掘調査ですが、デジタル化の波は着実に押し寄せています。

写真上の機械は、光の力で距離を測り、それをデジタルデータとして図面を作る機械です。これによって図面を書く労力がグッと軽減されます。その分、土を掘る作業に専念できる時間が増やせるのです。

そんなデジタルの力の導入によって調査がグングンはかどるはずなのですが……

写真撮影

写真下は土器などが出た様子を記録に残すために写真を撮っているところです。あまりにも天気が良すぎたため、影が入ってしまって良い写真になりません。そのため、太陽が雲に入るのを待っているところです。
どんなにデジタル化が進んでも、お天道様には勝てませんね。
(2011年12月9日)

テレビの取材がありました

陽の射さない寒い1日となりましたが、依然としてミステリーハンターさんの国府探索にかける情熱は燃えさかっています。
今日は、テレビ局(山陽放送)の現地取材がありました。

取材1
説明慣れしている調査員は、取材陣に解説を求められるとスラスラと話をしています。

ミステリーハンターだって負けてはいません。取材陣の質問に対して、とつとつとした語り口ながら、国府探索に対する想いを込めて答えています。

取材2
ミステリーハンターさんたちの想いは、きっと「国庁発見!」に結びつくはずです。その日を夢見て、今日も土とロマンを掘り起こしています。
(2011年12月7日)

 

讃岐国府跡 調査現場から 13 <<|>> 讃岐国府跡 調査現場から 15

このページに関するお問い合わせ