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公開日:2020年12月10日

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讃岐国府跡 調査現場から 17

香川県埋蔵文化財センター

穴薬師古墳(綾織塚)の測量調査をはじめました

穴薬師(あなやくし)古墳は、坂出市加茂町にある古墳です。飛鳥時代の始め頃(約1,400年前)に築かれた直径約25mの円墳で、県内でも大型の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)をもっています。讃岐国府が置かれた地域に、どのような勢力が展開していたのかを推定するために欠かせない遺跡です。
測量調査は、10月までの予定です。

穴薬師古墳 穴薬師古墳(綾織塚)の全景

(2012年9月18日)

 

讃岐国府式瓦

5月からの整理作業で讃岐国府跡でしか確認できない文様をもつ瓦の存在が明らかになりました。讃岐国府跡の実態解明の鍵となる遺物と考えられるため、詳しく紹介します。

国府式軒丸瓦

軒丸瓦は、完全な形の出土品がありませんが、中房とよばれる中央の円形の部分に1+8個の連子をもち、子葉に仕切りをもたない蓮の花びらをモチーフにした八葉の文様によって飾られています。

国府式軒平瓦

軒丸・軒平瓦も、完全な形のものはありませんが、巻きの弱い扁行唐草文を中心にして、周縁に複数の珠文を飾る文様をもつと推定できます。

国府瓦模式図

軒丸・軒平瓦の拓本を合成して復元した図です。将来的に細かな部分の変更があるかもしれませんが、全体の特徴を把握することができました。

国府式瓦の出土地点 坂出市都市計画図1/2500を使用しました

讃岐国府推定地の中での、この国府式の軒丸・軒平瓦の出土位置をみてみましょう。国府式の軒丸・軒平瓦は推定地の南部を中心に出土していることが分かります。また、この分布状況は、前回お伝えした丸・平瓦の分布とも合致するものです。また、国府式の軒丸・軒平瓦が出土した地点やその近くの発掘調査では、古代の大型倉庫跡や、築地や大溝という「国衙」と呼ばれる国府内の特定の施設に伴う遺構が確認されていることも重要な事実として挙げられます。

現在までの発掘調査の成果から、この国府式の軒丸・軒平瓦は平安時代に属する資料と考えられます。前回に瓦の出土量や分布からお伝えしたように、平安時代の讃岐国府では、推定地南部に瓦葺きの中枢施設が想定できますが、国府式の軒丸・軒平瓦は、その中枢施設を飾った瓦といえるでしょう。
(2012年8月27日)

瓦が語ること

5月からのボランティアスタッフと行った整理作業の結果、讃岐国府の瓦の特徴や出土位置に一定の傾向があることがわかりました。整理作業では、出土したすべての瓦について、作り方などの種類を分類した上で、点数や重さを計測しました。さらに、これらを集計して讃岐国府において、どの場所から瓦が多く出土しているのかを明らかにすることを目的としました。それは、瓦が集中して出土する場所やその近くには、瓦が葺かれた建物(群)が存在していることが推定でき、国府の中でも瓦葺きの建物(群)は、政庁などの中心的な施設である可能性が高いと考えられたからです。

讃岐国府跡からはこれまでの29回の発掘調査で合計1.1tもの古代の瓦が出土しています。

桶巻瓦
飛び出た面に、格子文様のタタキが施され、その内側に桶板の痕跡がある平瓦で、奈良時代のものと考えられます。このような平瓦は、全体の約30%を占めますが、多数派ではありません。

縄目瓦
膨らんだ面に縄目文様のタタキが施され、一枚ごとに作られた平瓦です。作り方や焼き締めが十分でないなどの特徴から、平安時代の平瓦と考えられます。他の平安時代とみられる瓦を合わせると、全体の約60%になります。讃岐国府の瓦の多くは、平安時代の資料と推定できます。

この図は、讃岐国府の中でどの場所から瓦が多く出土しているのかを示すために、細かく分けた地区や重量毎に色分けをしたものです。また、発掘調査を行った面積がバラバラですので、10平方メートル単位に換算しています。

瓦出土1 坂出市都市計画図1/2500を使用しました
この図では、前の図と同じく讃岐国府の中での瓦の出土傾向を示していますが、瓦の枚数を推定して表しています。両方の図ともに讃岐国府の中でも南半分となる図の下側のゾーンから瓦が多く出土していることを示しています。

これらの作業によって、平安時代の讃岐国府は瓦葺きの中心的な建物(群)が、推定地南部に存在していた可能性が高いことが明らかになったといえるでしょう。これからは、秋の発掘調査に向けて、遺構(建物や溝)の成果などの情報を精査し、更に細かく調査実施地点を絞り込んでいきたいと思います。(2012年8月22日)

国府瓦の出土地点2 坂出市都市計画図1/2500を使用しました

新たにわかったこと

現在、讃岐国府跡で行われた過去の発掘調査で出土した遺物を点検しています。その中で、新たにわかったことをいくつか紹介します。

1.多量の緑釉陶器が語ること

緑釉陶器(りょくゆうとうき)は、鉛と銅を混ぜた釉薬をつかうことで緑色に発色させる焼物で、平安時代に京都近郊や近江、東海地方で生産されました。これらの生産地から流通した緑釉陶器は、古代の一般的な集落からも出土しますが、官衙など古代の役所に関係した遺跡から集中して出土することが知られています。讃岐国府跡からは、合計78点もの緑釉陶器が出土しており、県内のこれまでの発掘調査における出土量の約6割を占めています。また、硯の可能性のある破片や、花瓶のような壺も出土しており、特殊な器種が含まれていることも注目されます。
 

緑釉陶器破片

緑釉陶器

2.多量の灰釉陶器が語ること

灰釉陶器(かいゆうとうき)は、用語のとおり灰からなる釉薬を施した焼物であり、平安時代の東海地方で生産されました。緑釉陶器と同じく当時の希少品といえる国産陶器で、官衙などの古代の役所を中心に出土することが知られています。讃岐国府跡では、合計16点の出土を確認しており、県内のこれまでの発掘調査における出土量の約6割を占めています。生産地が東海地方に限定されることが影響してか、緑釉陶器ほどの出土量はありませんが、讃岐国府跡に集中して出土していることは注目できます。

灰釉陶器破片 灰釉陶器

3.多量の硯が語ること

古代の硯には、円面硯(えんめんけん)と呼ばれる丸い脚が着くものと、風字硯(ふうじけん)と呼ばれる長方形の一方に脚をつけることにより硯面に傾斜をもたす大きく二つの種類があります。風子硯は、硯面が突帯によって分けられるものがあり、二面硯とも呼ばれます。また、これらと違って、食器の蓋や貯蔵用の甕の破片を硯として再利用する転用硯(てんようけん)も知られています。
讃岐国府跡では、合計35点の硯が出土しており、県内のこれまでの発掘調査での出土量の約8割を占めています。文書事務をもっぱらの仕事とする国府ならではの硯の出土量といえるでしょう。

硯

硯各種

(2012年8月7日)

現在の活動の内容は・・・

平成24年度の讃岐国府探索事業がスタートして、2か月が過ぎました。
減殺は、今年度の発掘調査地を決めるため、過去29回の発掘調査成果の見直しや、国府のある綾川下流域の地形・地名調査のまとめを行っています。讃岐国府跡から出土した遺物は、コンテナ400箱に及びます。その一つ一つのコンテナを点検し、土器を接合したり、重要な遺物が含まれていないか確認します。
(2012年6月19日)

 

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