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現在の調査区の南側に新たな調査区を設定しています。
地形分類では、綾川の氾濫原にあたる場所になり、国府の遺構を検出している箇所とは2m以上の比高差があります。
現在の耕作土の下に、江戸時代頃の水田層があり、その下にはシルト質土や砂、礫が厚く堆積しているようです(➡)。砂や礫は綾川の氾濫によって運ばれた土砂の可能性が高いと考えています。
今後、層ごとに掘り下げながら、各層の形成年代を把握しつつ、下位にあるかもしれない国府の痕跡を探っていく予定です。(11月17日)
写真1 新たな調査区(➡)
水路右側:国府の遺構がある安定した地形
左側:綾川氾濫原にある水田(左奥は綾川堤防)
現在調査を実施している調査区(35-1区)の南側に新たな調査区を設定しました(35-2区)。
旧地形の連続性や遺構の広がりを確認することを目的とした調査区です。
調査を始めたばかりですが、35-2区は綾川の氾濫により遺構がある面が削られている可能性が高そうです。(11月10日)
調査中の調査区(手前)と新たな調査区(奥)
「普通の須恵器の甕か」と思いきや(写真1)、取り上げてみると、なで肩の肩部に突帯が巡る広口壷であることが判明しました(写真2)。突帯が巡る壷は特殊なもので、県内では出土例に乏しい資料になります。もしかすると多口瓶(たこうへい)かもしれません。多口瓶とは、広口壺の肩部に四方向の注ぎ口がある不思議な形の壷です
出土した広口壺の製作された時期は正確には分かりませんが、10世紀前後のものと考えています。多口瓶は仏具と言われているため、開法寺跡との関連も想定できます。その一方、多口瓶ではなく、肩部に突帯が巡る特殊な貯蔵具である可能性もあり、国府で使用された可能性も否定できません。とても小さな破片ですが、興味深い遺物です。(11月8日)
広口壺
立て続けに、官衙的な色彩の強いとされる遺物が出土しています。
写真1は風字硯です。上から見て「几」の形をしているため、風字硯と呼ばれます。9世紀以降に確認できるようになる官衙(役所)を代表する遺物で、これまで讃岐国府跡からは十数点が出土しています。
写真2は緑釉陶器です。表面に銅を含む釉薬をかけて焼いた陶器です。緑釉陶器の県下での出土例を見ると、官衙的な色彩の強い遺跡に限られるようです。そのなかでも讃岐国府跡からは飛び抜けた出土量となります。
さすが、国府と実感する興味深い遺物です!(11月2日)
風字硯
緑釉陶器
先週から引き続き、調査区の西側の瓦を検出しています。瓦の平面的な広がりが溝状にまとまる遺構を確認しました。その一角からこれまで見たことがない型式の軒丸瓦が出土しています)。文様構成は隣接する開法寺の最古型式の瓦に似ていますが(写真4、十葉素弁蓮華文軒丸瓦)、花弁の内側が凹み、花弁間に配された珠文も形骸化しています。新しい時期(9~10世紀)に古い文様をリバイバルした瓦のようです。(10月30日)
溝状にまとまる瓦の広がり
新型式の軒丸瓦
開法寺の最古型式の瓦(過年度調査出土)
調査区の西側からは古代の瓦がまとまって出ています。
瓦に傷を付けないよう、竹ベラで周りの土を丁寧に落とします。
瓦の間に入り込んだ土を取り除くのは大変ですが、掃除機が大活躍します。
瓦には通常の丸瓦や平瓦だけでなく、軒瓦もあります。
写真の瓦は7世紀末~8世紀初めごろの瓦です。
多量の瓦の性格はまだ分かりませんが、前々回に報告した溝群との関係に注意しながら、検討していく予定です。(10月25日)
瓦の検出状況 | 出土した軒瓦 |
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