ここから本文です。
今年度、讃岐国府ボランティア(ミステリーハンター)のみなさんは、讃岐国府跡の発掘作業をはじめ南海道経路の探索や新宮古墳の測量、讃岐国府跡に関する普及活動になど、さまざまな仕事にあたってきました。
これに加えて、ミステリーハンターのみなさんが大活躍した仕事のひとつにまち歩きのガイドがあります。7月から11月にかけて6コース、7回の実施で、ミステリーハンターならではの讃岐国府に縁の地を巡るコースをみんなで知恵を絞って作りました。まずガイドを務めるミステリーハンターがおおまかなまち歩きコースを考え、みんなで下見に歩いてあれこれ意見を出し合い、コースや資料を練り上げて実施に臨みました。コース作りや資料作り、実施の準備にミステリーハンターのみなさんはたいへんでしたが、準備の過程や参加者とのいろいろなやりとりを通じて、大きな充実感が得られたようでした。
まち歩きのガイドを務めたミステリーハンターの苦労と奮闘の結晶をまとめ、「ミステリーハンターのまち歩きガイド」を作成しました。讃岐国府の時代を巡るまち歩きのバイブルとなることを祈念します。(3月31日)
ミステリーハンターの汗の結晶!
讃岐国府跡の現場作業は3月上旬にすべて終了し、28ℓ入りコンテナで76箱の遺物が出土しました。現在はその遺物の洗浄作業を行っています。
通常、この作業は「土器洗い」と呼んでいますが、やっぱり国府跡。出土遺物のほとんどは土器ではなく瓦です。「土器洗い」というより「瓦洗い」。それも丸瓦や平瓦が圧倒的に多いのですが、たまに文様がスタンプされた軒丸瓦や軒平瓦の破片があるとちょっとうれしくなります。
土器を洗う場合は特に注意が必要です。国府跡からは文字に係る資料が出土することがあります。土器のどこかに墨で字が書いてあるかもしれません。汚れを落としつつも、あるかもしれない「墨書」まで落としてしまわないように、よく観察して洗います。また、須恵器の破片を硯に再利用している場合もあります。その場合は土器の表面がつるつるしているので、そのような土器片がないかどうかよくさわって確かめます。
遺物の洗浄は地味な作業ですが、特に讃岐国府跡のように重要な遺跡の場合、よく観察してていねいに作業を進める必要があります。(3月26日)
軒丸瓦がありました。
11月から進めていた平成25年度の讃岐国府跡の発掘調査も終了の時期になりました。2月9日に行った現地説明会終了後、若干の確認調査や図面作成、写真撮影を行った後、2月中旬頃から徐々に埋め戻しを行いました。重要な遺構を保護するため、また、調査地は地権者のご協力を得て農閑期にお借りしているので、この春からまた水田耕作ができるよう細心の注意を払って埋め戻しを行いました。
奈良・平安時代の讃岐国府の威容がわずかに垣間見えたこの冬でしたが、景色が春めくとともに再び地下へと隠れ、もとの田園風景に戻っていきます。次の冬、讃岐国府の一部が、発掘調査によって再び姿を現すことを楽しみにしていてください。そして、地権者の方をはじめ、地元のみなさまには多大なご協力をいただき、ありがとうございました。(3月12日)
適度に水はけをよくするため花崗土と石灰を混ぜ、埋め戻し
埋め戻しを行い、転圧器をかけた状態。この後、耕作土を戻す。
去る3月2日(日曜日)、坂出市民ホールで平成25年度讃岐国府跡探索事業成果報告会「讃岐国府を語る」を開催しました。昨年度の調査では讃岐国府跡の位置を確定させることができ、讃岐国府について多くの方々に関心を持っていただくことができましたが、あれから1年、今回の「讃岐国府を語る」でも200名もの参加者があり、関心の高さが窺えます。
今年度の讃岐国府跡の調査成果の発表に先立ち、讃岐国府に関連が深いテーマについて発表が行われました。まず一つは「国府の時代の大開発-条里と南海道-」。当センター職員と国府ボランティアが空中写真や都市計画図を詳細に検討し、奈良時代に整備が進められた都と地方を結ぶ官道のひとつ、南海道の経路を確認する作業を行いましたが、その過程であきらかになった成果について発表がありました。奈良時代には官道を基準とした大規模な土地の区画整理が行われており、その区画整理の痕跡の多くは現在でも水田畦畔や用水路などに残されています。その区画整理の痕跡を空中写真や都市計画図で細かく観察すると、現在は埋没しているものの、かつては河川があった場所が何箇所か浮かび上がり、現在とは違う讃岐の風景が提示されました。
坂出市の埋蔵文化財担当者からは「開法寺は府衙の西に在り-古代寺院の発掘調査成果-」の発表がありました。開法寺は、讃岐国司として赴任したこともある菅原道真が著した漢詩集「菅家文草(かんけぶんそう)」のなかにその名称が記され、「開法寺は府衙の西に在り」の記載は国府の所在を知る上で重要な文言と考えられてきました。開法寺跡の調査は昭和30年代から断続的に行われています。発表では、現在では県指定史跡として整備されている塔跡の発掘調査の様子など貴重な画像が数多く映され、開法寺跡の奈良・平安時代の伽藍(がらん)配置が発掘調査によって徐々に明らかになっていく過程がわかりやすくまとめられていました。
「讃岐国府を掘る-平成25年度の発掘調査成果-」では、昨年度の北側の区画に引き続き国府の中心施設の西側の区画が明らかになったことや、奈良時代から平安時代にかけて何度か建物の建て替えを繰り返しながらも連綿と中心施設が維持されていったこと、また、讃岐国府が成立する直前の飛鳥時代末頃に現れた集落について、同じ時代に建造された古代山城の城山城との関連からその意義を探る必要性などが報告されました。
最後のディスカッションでは、坂出市長、坂出市教育委員会教育長に当センター所長を交え、讃岐国府跡の調査がどう活用されているか、近隣の小学校との連携授業やまち歩きなどを例にしながら紹介されました。あわせて、今後、さらに多くの方々に讃岐国府跡を知ってもらうためにどのような取り組みをしていったらいいのかについて、意見が交わされました。
「讃岐国府を語る」が無事終了し、今年度の讃岐国府跡の調査・行事は現場の埋め戻しなどを残すのみになりました。発掘調査は来年度以降も実施し、さらに国府の中心施設の内容を明らかにしていく予定です。今後も讃岐国府跡の成果にご注目下さい。(3月5日)
最初のあいさつ。参加者の熱気が伝わって来そう。
国府ボランティアの発表。いつもは陽気で賑やかなのにこの日ばかりは緊張!
古代人の衣装で挨拶をする坂出市綾市長。参加者には大うけ!
今年度の讃岐国府跡の調査で明らかになったことは・・・
現地説明会も終わってちょっと一息ついた2月17日の午後、府中小学校4・5年生が発掘現場の見学に来ました。雪が降ったり寒かったり、天候の不順な日が続いていましたが、この日はやや曇がちながらまあまあの天気。国府の現場見学は2年連続となる5年生は全員長靴を履いての見学です。
まだ授業で歴史を習う前の学年、讃岐国府の歴史的な背景などが理解できるかちょっと不安でしたが、さすがは国府の地元。国府や府中町に関係する語句はかなり頭に入っています。11月に府中小学校の全校行事で府中の歴史をテーマにクイズラリー行ったことも理解を助けてくれたようです。
讃岐国府について一通りの説明の後、実際の発掘現場を見学。今年の発掘調査ではどのようなものが見つかってどのような成果があったか、だけでなくどうやって柱の穴の跡を見つけるか、どうやって建物を復元し、時代を推測するのかなども説明しました。児童たちは現場を目の前にしていろいろなことに興味を持ってくれて、見つかった柱穴の跡や出土した瓦などのことについて次々と質問があり、あっと言う間の1時間半でした。
4・5年生はこれから歴史の授業で勉強して、埋蔵文化財センターにも来て、さらに府中町の歴史に親しんでほしいと思います。
翌2月18日の午後は府中小学校6年生が現場見学と発掘体験にやって来ました。6年生とは連携授業を通して1年間一緒に讃岐国府や府中町の歴史について勉強をしてきた仲。この日はその最後の日です。これまで讃岐国府については多くのことを調べて勉強してきた6年生ですが、実際に発掘現場を見て、柱穴の大きさにびっくりしていました。そして、初めての発掘体験。調査現場で見つかった瓦溜まり(瓦が集中して出土した部分)で、瓦の周囲の土をていねいに削りながら瓦の形をきれいに出していく作業をしました。初めて間近で見る古代の瓦には格子や縄目、布目の模様があり、6年生は担当職員から古代の瓦の種類や瓦にいろいろな模様がつく理由、瓦の作り方などの解説を聴きながら一心不乱に作業に取り組んでいました。
この日は前日とはうってかわってとても寒い日でしたが、6年生にとって発掘体験や発掘現場には新しい発見がたくさんあったようでした。卒業してもこれまで調べたり学んだりした府中の歴史を大切にして下さいね。(2月25日)
4・5年生とは初対面。まずはごあいさつ(4・5年生)
讃岐国府跡の建物の説明。柱が大きい!(4・5年生)
このページに関するお問い合わせ