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公開日:2020年12月10日

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讃岐国府跡 調査現場から 12

香川県埋蔵文化財センター

ミステリーハンターに、新メンバー

讃岐国府跡探索事業で大きな力を発揮しているボランティア「ミステリーハンター」。平成21・22年度の調査で、24名のミステリーハンターが奮闘する姿は、これまでもお伝えしてきました。
2年間、さまざまな経験をすることで、ミステリーハンターの方々それぞれに、追いかけたいテーマが形をなしてきました。また、現地調査や発掘調査、報告会やまち歩きなどを通じて、しっかりしたチームワークが生み出されてきました。新たな仲間を加えることは、活動の幅と深みを広げていくために、ぜひとも必要なことです。
そこで、6月7日(火曜日)~21日(火曜日)の期間で、ミステリーハンターの新規メンバーを募集しました。募集には、県内各所の博物館や資料館、図書館にチラシを置かせていただき、報道機関のご協力で情報を発信し、また埋文センターのホームページにも募集要項を掲載しました。
その結果、県内全域から13名の応募がありました。それぞれの申込書には、国府や香川の歴史に対する熱い思いが書かれていました。担当者をはじめ、埋文センター職員は、この熱い思いに頼もしさを覚えました。
7月9日(土曜日)、先輩ミステリーハンターの協力を得て、新人研修を行いました。讃岐国府跡探索事業の目的やこれまでの活動、地域の歴史をどのようにとらえていくか、などの講習を担当職員が行い、先輩ミステリーハンターの梶さんと十河さんからは、2年間の活動で考えたことを語ってもらいました。

ごあいさつ
所長から、ごあいさつ

担当の説明
担当から、活動内容を説明

十河さんの説明 十河説では、国府の場所は・・・・・・?

午後には、先輩ミステリーハンターの宮本さんが国府に関係する遺跡や旧跡を案内。炎天下の中でしたが、新人メンバーは先輩の名ガイドに聞き入っていました。
研修の最後に、それぞれの感じたことや、これからの抱負を語り、意見交換を行いました。

後は、調査のやり方や考え方を実地に覚えていくだけです。現在、新人メンバーは、毎週3回(水・木・土)の現地調査に参加しており、野外調査の大変さと、結果が見えた時の充実感を、先輩メンバーとともに分かち合っています。新人のがんばりと、先輩の成長に、乞うご期待。

現地研修

ミステリーハンターがご案内する、まち歩き

5月22日(日曜日)と6月5日(日曜日)、まち歩き「古代の県庁『国府』はどこ? その3」を開催しました。讃岐国府跡探索事業の中で明らかになってきた、さまざまな事柄を盛り込んだガイドツアーです。
今回のまち歩きでは、讃岐国府ミステリーハンターが初めてコースを組み立て、ガイドをつとめました。2年あまりの活動で経験し、考えたさまざまなことを盛り込んだ、個性豊かなコース内容です。
1回目のガイドは、地元ならではの土地勘をもつ梶さん。国司として4年間を過ごした菅原道真の漢詩の世界を、地元目線で読み解くコースでした。府中の里を知りつくした梶さんが、道真の詠んだ詩の情景を解釈し、道真のいた場所について自説を展開していきました。

2回目のガイドは、外の目線で国府に理解を深めてきた宮本さん。赴任したばかりで土地に不案内な国司を案内する、というコンセプトでコースを組み立てました。国府ができる前にこの地域に勢力をもっていた綾氏の痕跡をたどり、大正時代に国府を顕彰した人たちに思いをはせました開法寺跡で説明する宮本さん
2回のまち歩きとも、天候に恵まれました。21名の参加者には、小学生から年配の方までと、幅広い世代をお迎えすることができました。参加者の方々の反応も上々で、2時間あまりのコースを歩きながら、それぞれの世界を堪能していました。

炎天下の現地調査 1

6月中旬から、林田町内の現地調査を本格的に実施しています。古代の国府と周辺環境を考えるためには、いきなり1,300年前の奈良時代に飛ぶことはできません。まずはその地域や土地がたどった、歴史的な「履歴」を読み解きながら、現代から近代、そして近世、中世と時代をさかのぼり、最後に古代に到達する、という作業が必要です。
土地の「履歴」とは、自然環境と人間との関わりの歴史、と言い換えることができます。長い年月の間に、その時々の人々の暮らしに適するように地形や水の流れを整えてきたのです。その歩みを知るために、まずは現在の地表面に遺されたさまざまな情報を得ていきます。
その作業の一つに、地形測量があります。細かな地形の起伏をとらえ、それをもとに古い地形を考えていきます。田んぼや畑1筆ごとの標高がデータとして手元にあれば、精度の高い地形復元ができます。しかし、国土地理院の地図や、坂出市の都市計画図のような詳細な地図でも、そうしたデータはないのです。
データがないのであれば、自分たちで測量するしかありません。白峰中学校にある国土地理院の水準点の標高を、「レベル」と呼ばれる測量器械を使い、林田町内各所に移していきます。私たちはこれを「ベンチマーク」と呼んでいます。そして、町内各所に設定されたベンチマークを基準にして、田畑1枚毎の標高を測量していくのです。

測量の様子 スタッフ(箱尺、左)の目盛をレベル(右)で読み取ります

新たに測量をするエリアへは、隣接する既存のベンチマークから出発して、エリアを1周しながら新たなベンチマークを設定していきます。スタートとゴールのベンチマークは同じです。ですから計算上は、ゴールした時の標高は、スタート時の標高と同じでなければなりません。しかし理屈はそうでも、実践するとなると、なかなかうまくいかない場合があります。標高が合わないのです。

地図の記入 地図に測量した場所を記入していきます 坂出市都市計画図(1/2500)を使用しました

数値の記録 レベルで読んだ数値を計算しながら書いていきます

レベルでの数値の読み間違い、読み値の聞き間違い、計算間違い・・・・・・・。炎天下での手作業であるため、間違いは避けようがありません。それでも計算をチェックし、逆周りで測量し直し、ようやく問題解決にこぎつけます。一安心。時々は、ゴールの数値がスタートと寸分違わず一致します。この時の達成感は、例えようがありません。ミステリーハンターの方々と一緒に、大喜び。
こうした作業をくり返しながら、地形調査を進めているところです。現在、林田町南部の上林田での測量が佳境に入り、その北側の中川原へと進もうとしています。地元の方々からも「何しよんですか」と声をかけられることがしばしばですが、作業の趣旨を説明すると「暑いのに大変やな。がんばりや」と激励のお言葉をいただくこともあります。
地元の方のご理解とご協力をいただいて、調査は順調に進んでいます。その成果はさまざまな機会を得て、地元に還元していきたいと考えています。

測量の様子1

数値の読み取りが難しい・・・・・・・

測量の様子2

こんなに離れているので(中央奥にスタッフをもった人がいます)s

土蔵から見える350年の歴史

5月から6月上旬にかけて、坂出市林田出張所の土蔵に保管されている公文書の調査を行いました。

林田出張所は、もと林田村役場(昭和17年に坂出町と合併して坂出市となる)のあった場所で、その一角にたたずむ土蔵は、おそらく昭和初期に建てられたものと推測されます。和洋折衷の特徴的な外観からは、大切なモノを保管する土蔵に対する当時の人々の信頼のようなものが感じられます。

林田出張所土蔵

土蔵の内部

この土蔵の壁3面には、江戸時代前期から昭和に至る350年間の歴史を物語る、2,400点もの公文書がぎっしりと収納されています。初めはその量の多さに圧倒されましたが、ミステリーハンターの皆さんが1点1点、表紙を撮影していく姿は、林田村の歩みを一歩ずつ踏みしめる作業のように見えました。

土蔵の内部

ここに保管された公文書たちは、林田村を管理し、運営していくために必要だったために、廃棄されずに残ってきたと考えられます。最も古いのは、延宝2年(1674)に作成された検地帳です。検地帳とは、田畑1筆毎の土地の等級や面積、所有者などを記した土地台帳であり、これをもとに年貢がかけられました。この他にも江戸時代の検地帳が多数残っており、明治の初めに行われた地籍図(公図)の作成の基礎資料として、明治以降も大切に保管されてきたのでしょう。

延宝2年の検地帳

検地帳に書かれた土地の情報

明治~昭和戦前期の公文書には、1勧業(特に農業)、2土木(治水や道路建設)、3教育(学校建設や就学状況調査)、4軍事(出征記録や陸軍特別大演習)、5寺社(檀家や氏子調査)などの内容のものが多数あります。この5つの分野が村政の運営上、特に重要視され、代々引き継がれてきたのです。表紙の厚紙は貴重品だったためか、リサイクルされているものも多く見られました。戦後の公文書には、農地解放のチラシなどもあります。


北条池ニ関スル書類

現在、土蔵内での調査は終了し、ミステリーハンターの皆さんが2,400点の公文書のリストを作成中です。その成果については、順次ご紹介していきますが、江戸時代の検地帳や明治の地籍図・台帳の照合作業によって、江戸時代の古い地名が現在のどこにあたるか、特定できつつあります。また昭和7年に作成された林田村全図は、近代化が進む前の林田村の状況を示す資料として重要です。
寺院の由緒書や神社の氏子関係資料は、地域の結び付きに寺社がどのように関わったのか、知る手がかりとなるでしょう。農業では、北条池に関する水利の書類が、古い水利慣行を考える重要な材料となります。
これらの公文書=歴史的資料を読み解き、現地での調査(地形・地名・水利)と突き合わせることで、近代さらには江戸時代の林田村の姿が現れてきます。その先に、中世そして古代の林田郷を見出していく作業が待っているのです。

現地を歩いてみる

4月の終わり、今年度の現地調査を予定している、坂出市林田町を歩いてみました。
平成21年度には府中町、平成22年度には加茂町で、地形・地名・水利などの調査を行ってきました。発掘とは異なった視点や方法から、多くの成果があがってきており、地域の歩みを立体的に組み立てる資料がそろってきました。
今年度は、林田町の現地調査を行う予定にしています。まずは、地元自治会長さんや坂出市林田出張所に、ご挨拶と、調査へのご協力をお願いしました。
そして林田の地形イメージと、調査にあたっての具体的な動きを考えるため、担当者で下見をしてみたわけです。
碁盤の目のような地割が広がる加茂町とは違い、林田の地割は複雑です。それは綾川の古い流れや、昔の海岸地形などの痕跡です。
また、鎌倉時代から室町時代にかけて、京都の八坂神社が梶取名(かんどりみょう)という場所を開発している記録があります。
地形の痕跡を調べながら古文書の内容をイメージし、さらに地域の方のお話しをお聞きすることで、古代から現代までの貴重な「土地の記憶」を掘り起こしていきたいと考えています。
地域のみなさまには、現地調査にご協力くださいますよう、お願い申し上げます。


綾川の流れの痕跡


地域開発を進めた八坂神社

今年度、初顔合わせ

4月20日(水曜日)・23日(土曜日)に、ミステリーハンターと今年度担当職員による、今年度第1回目の打ち合わせを行いました。
普段はお仕事をされていたり、地域活動など多忙な方が多いミステリーハンターのみさなんが、出席しやすいように、平日と休日にセッティングしました。自己紹介の後、今年度の計画を担当から説明し、さまざまなご意見をいただきました。
讃岐国府跡探索事業は、今年で3年目。過去2年間での経験や知識を活かそうという気持ちや思いが、ミステリーハンターの方々から強く伝わってきます。
所長以下、センター職員一丸となって、大事な3年目に取り組んでいきたいと、決意を新たにしました。

打合せの様子

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