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公開日:2020年12月10日

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讃岐国府跡研究のあゆみ

香川県埋蔵文化財センター 讃岐国府跡研究のあゆみ

讃岐国府の位置

讃岐国府の位置を記した最も古い史料は、『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』です。
この書物は、935年(承平5)ごろに、源順(みなもとのしたごう)という歌人・学者によって編纂されたもので、古代地名が列記されるなど日本最初の百科辞典ともいうものです。
讃岐国の箇所に「国府在阿野(あや)郡」と書かれていることから、国府が阿野郡にあったことがわかるのです。

阿野郡の範囲

古代の阿野郡はどのあたりでしょうか。
阿野郡には、新居・山田・羽床・甲智・鴨部・氏部・山本・林田・松山の9郷があったことが『和名類聚抄』からわかります。
このため、これらの郷名を現在の地名と対比させると、古代阿野郡は現在の坂出市東部から、高松市国分寺町、綾川町にかけての範囲だったことがわかります。

開法寺は府衙の西に在り―1

『和名類聚抄』以外にもう一つ讃岐国府の位置を知る手がかりがあります。
それは菅原道真の漢詩集である『菅家文草(かんけぶんそう)』です。
巻三の「客舎冬夜」(210※)という詩に「開法寺(かいほうじ)」という寺の名が見え、「開法寺在府衙之西」と注釈が付されています。
この一文が、江戸時代から現代に至るまで、国府の位置を求める重要な手がかりとして扱われているのです。
「開法寺は府衙の西に在り」と書かれていることから、讃岐国府跡、もしくは国庁跡は開法寺跡の西側、つまり国司庁碑付近と推定されています。
しかしながら『菅家文草』の「開法寺」が現在遺跡として残っている「開法寺跡」なのかは論証されていません。
また「府衙」の意味についても十分な検討がなされていないのが現状です。

※()中の数字は、川口久雄校注『菅家文草 菅家後集』(日本古典文学大系72 岩波書店 昭和41年)の詩番号を指します。

開法寺は府衙の西に在り―2

「開法寺は西に在り」という一文から、讃岐国府・国庁の所在地をどの程度推定することが可能なのでしょうか。
最初に「府衙」の意味から検討します。
『菅家文草』巻三・四には「府」、「衙」の用例が18例あります。

  • <1> より退きて西に顧みて立つ (193)
  • <2> たまたまの頭に午後の閑を得て (218)
  • <3> 口に誦みて後に窺ふ (223)
  • <4> 後に諸僚友を勧めて、共に南山に遊ぶ (232)
  • <5> 後 客舎の閑あるのに勝へず (232)
  • <6> 早くして尚書は長に激務なり (240)
  • <7> を放たれて一日 残んの春を惜しむ (247)
  • <8> 掩(おほ)いて 吏の集るなし (292)
  • <9> 満の僚吏 俸多しといへども (295)
  • <10> 雨を過ごして経営して庫を修む (219)
  • <11> たまたま明に逢ひにたり 安を氏となせり (221)
  • <12・13> 州を巡視せり。府の少しき北に一つの蓮池あり (262)
  • <14> 巨明は劇官 満ちなんとす (263)
  • <15> 脚の灸は堪ふることなくして州を去りぬ (325)
  • <16> 重陽の日、府衙にて小飲す (210)
  • <17> 開法寺は府衙の西に在り (210)
  • <18> 府衙書生、一日頓死 (217)

開法寺は府衙の西に在り―3

「府」については、漢語の意味は「倉、みたまや、胸、あつまる、物事の集まるところ、つかさ」などです。
<11>では「安を氏とする人だ。」と言っています。
具体的には道真より8年ほど前に讃岐介であった安部興行を指していますので、「府」は国の役人―国司という意味で使っていることになります。
<12>には州府とあり、州は讃州つまり讃岐国ですので、讃岐国の国司がいるところとでも訳し、そこは巡視するする対象になっていることから、ある程度の広がりの中に所在する倉庫ということになります。
つまり、府は「国司や施設が集まっている所」という意味であるということがわかります。

「衙」の漢語としての意味は、「役所、天子の居処、あつまる、兵営、部屋」などがあり、『菅家文草』では、<1>、<9>は役所と解釈でき、<4>、<5>は「役所の仕事」といった意味合いが強い使われ方です。

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