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2019年2月10日、現地説明会を開催しました。午前、午後の2回で合わせて266名の方にお越しいただきました。
丘陵の斜面で検出された遺構を目の前にし、多くの方が、現在開法寺池となっている場所(かつての丘陵の裾付近)にまで遺構が広がる景観を想像されたようです。
また、当日は隣接する開法寺跡(坂出市教育委員会による調査)でも現地説明会が開催され、特に回廊と考えられる礎石や12世紀以降の銅印が見学された方の関心を集めていました。(2月15日)
現地説明会の様子
現地説明会の様子(遠景)
開法寺池南側の丘陵ふもとでも、讃岐国府や開法寺と同時期の施設が広がることが分かってきました。
丘陵斜面の落ち際に平安時代初め頃の溝が設けられました。
この溝が埋まった後、平安時代終わり頃に丘陵斜面の一部を整地して柱穴が築かれています。柱穴の底部近くには柱を支えるための石が据えられていました。柱跡が残っていないのは最終的に柱が抜き取られたためでしょう。通常、柱穴は複数で組み合って建物などを構成します。今回の調査ではこの柱穴と同規模の柱穴は確認できていないため、対応する柱穴は調査地の外にあると考えられます。(2月6日)
柱穴
柱穴の調査状況)
平成29年度まで調査をしていた讃岐国府跡と、坂出市が調査を進めている開法寺跡の西側に開法寺池というため池があります。開法寺池は南北の低い丘陵に挟まれており、池の構築(江戸時代?)以前、この場所は谷であったと考えられます。
讃岐国府跡や開法寺跡が存在していた奈良~平安時代、この谷がどのような状況であったかを明らかにするために、現在、調査を行っています。
開法寺池の南側の丘陵ふもとでは、奈良時代から室町時代にかけて丘陵斜面に手を加え続けながら利用されてきたことが分かってきました。
丘陵は部分的に平坦面をもつようカットされており、その後、平安時代に2段階の整地が行われています。(1月17日)
調査区全景(南西から)
見つかった柱穴(北から)
讃岐国府探究事業の1年目として、11月1日から発掘調査を開始しました。調査箇所は、開法寺池と鼓岡神社の間の谷筋に当たる田地で、今後は開法寺池南側の田地の調査も予定しています。
調査は平成31年2月28日までの予定です。今年度はどのような調査成果が出るのか今から楽しみです。
※今年もホームページで発掘調査の情報をいち早くお伝えしていきます。(11月2日)
発掘調査地の遠景(埋蔵文化財センターの屋上から)
調査の始まり(耕作土を除去中)
調査地周辺地図
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