ここから本文です。
雨の中での現地説明会の後も、調査は続いています。
現在は、「讃岐国司庁址碑」のさらに南側に新しい調査区(第4トレンチ)を設定して調査をしています。ここでの調査目的は、後世に綾川の流れで削られたりしたエリアや、残り具合を発掘によって明らかにすることです。
この調査結果が明らかになれば、国庁を含めた国府の役所が川の流れの移動によって移転せざるを得なくなったなどの可能性も生まれてきます。
現在の水路を境に明瞭な高低差がある(左側が推定される川の跡で低くなっている)
終盤を迎えた今年度の調査ですが、新たなる発見にご期待ください。
(2012年1月26日)
今季一番じゃないかと思うような冷え込みの中、センターと綾川を挟んで対岸にある府中小学校の5・6年生、総勢91名の児童が発掘現場の見学に来ました。
地下から掘り出した自分たちの地元の歴史をじかに見て、調査員の説明に神妙な面持ちで聞き入っていました。なかでも、奈良時代前後に遡りそうな建物には興味津々だったようです。
「キミたちの地元にはすごい遺跡が埋まっているんだよ。大事に後世に守り伝えていこうね」
(2012年1月18日)
3本目となる調査区で検出した四隅の丸い四角形の柱穴について、その方向と規模を確認するために、調査区を若干東西方向へ拡張しました。
すると、建物のほぼ全体像が姿を現しました。
建物は東西方向に長い長方形で、長辺部は柱穴が8つで約12メートル、短辺部は柱穴が4つで約5メートル、床面積は約60平方メートル(約18坪)の規模です。建物の方向は、真北の方向にピタリと合っているようで、東西方向を延長した先には、城山(きやま)にある明神原(みょうじんばら)遺跡があるように見えます。次は、柱穴を一部掘り下げて、時代が特定できる土器などの遺物があるかを探ります。
(2012年1月12日)
「讃岐国庁跡碑」の南側に、3本目となる調査区の発掘調査に着手しました。耕作土を重機で除去するとすぐに古代と思われる遺構面が現れました。ボランティア調査員さんたちが表面をきれいに削って精査すると、黒っぽい色をした円形や四角形の遺構が姿を現しました。なかでも、四隅の丸い四角形が方向をそろえて並んでいるものが注目されます。これらは柱を据えた穴とみられ、ほぼ真北の方向を意識しているようです。周辺に残る条里地割が設置される前の建物になる可能性があります。
現在のところ、柱の間隔が2メートルほどで、建物の長さはまだ不明ですが、幅が約5メートルの東西に長い建物であると推定されます。
これからの調査で、時代などの詳しい内容を調べていきます。ご期待ください。
(2012年1月11日)
このページに関するお問い合わせ